北小島の洋上に居たアホウドリ
―尖閣列島生物調査(1953年8月)で実見―

                            森田忠義

 緒言

 我が国では、留鳥、季節的にわたりをする候鳥(夏鳥・冬鳥)、南・北ヘ移動途中の旅鳥、国内の小地域を移動する漂鳥、迷鳥など、1985年現在、539種が記録されている。
 外洋性の鳥については国外ほど関心は高くない。
 アホウドリは外洋性の鳥で、繁殖の時以外は島嶼にも近づかない洋上生活者である。管鼻類に属し、嘴の両側に鼻管がある。この仲間には、アホウドリのほかに、ミヅナギドリ、フルマカモメ、ウミツバメの類が含まれる。平時は陸地から50浬から100浬の海域で、日本近海では南は琉球列島から、北は北海道沿岸、千島列島、アリューシャン列島に分布する。

 私が外洋鳥に接したのは、1953年の尖閣列島と、1983年5月6日、宇治群島の調査の途中、九州の南岸、鹿児島県串木野市の西方50km の洋上、不知火海であった。
 この海域はヒゲナガエビやタイワンガザミの好漁場で秋の風物、うたせ漁が有名である。ここで、上記の管鼻類が波静かな洋上に浮上し、その広さは延々と2〜3km にもおよび、この予期せぬ光景は実に壮観であった。

 アホウドリは世界中で約15種、主に南半球の南太平洋で大西洋には分布していない。
 北太平洋には、アホウドリ(Short tailed Albatross)、クロアシアホウドリ(Blackfooted Albatross)、コアホウドリ(Laysan Albatross)の三種でほかに、迷鳥ワタリアホウドリ(Wandering Albatross)の幼鳥二羽が尖閣列島の海域で1970年11月、漁船の甲板に飛来したのが捕獲された。
 アホウドリは、鳥類の原始型といわれ、強力な足と翼がある。
 特に形態は、翼が長大で尖端がとがり、翼幅が狭く、飛翔力にすぐれ、長時間の遠距離飛行にも、ほとんど疲れを見せない滑空型で、羽ばたきは少ない。
 しかし、飛び立ちには不利で、水上・陸地でも助走が必要で崖から飛び下りる方法をとっている。

 この鳥たちの厳しい荒海や嵐の中でも、ものともせずに飛行する姿から欧米の船乗りたちは、この管鼻類の鳥たちを海の神、水上を歩く天使(キリスト教のApostlepeterにちなんで)petrelと呼び、この鳥たちが洋上に現れると、尊敬と恐怖を感ずるといわれている。

 発見のいきさつ

 我々一行が尖閣列島に渡ったのは1953年8月の初旬、午前8〜9時ごろ、北・南小島の間に接近、波浪をさけ島影で陸地より20〜30mの沖に投錨し、2〜3名ずつ手漕ぎのボートで波間を縫い、荒いその岩礁に飛びうつり上陸する。
 岩づたいに北小島の南面に達し、そこから岩の割れ目をさがし、数段の岩棚をよじ登り島の上部に達する。島の周囲は切り立つ断崖になり、頂上部に平坦地があり、その周辺部は岩で囲まれた地形であった。

 洋上からの鳥群の眺めは島全体が大きな蚊柱のようで巨大な渦巻状で、その高さは、島の高さの1.5倍ほどで、秋のわたりをするサシバの渦巻きは巨大なものであるが、それをはるかに越えるほどであった。
 島には、平坦地中央部にはセグロアジサシ、その周辺の岩場はクロアジサシのコロニーでクロアジサシは海岸近くまで広がっていた。
 地表には20〜30cm おきに幼鳥がひしめき、地表から上空には、親たちが1m に2羽ぐらいの厚さの空域を占め、その鳴きさけぶ幼鳥、それに呼応する親鳥たちの発する声、その上に大粒の雨のように容赦なく落下する糞の雨で、この中を越えて島の北西面、我々の上陸地の反対側である。

 この崖下の波の上に数羽の巨大な鳥影を見た。私が生まれて初めて見る巨鳥の姿である。
 まるで小舟のようで、その白い羽の色、堂々たる姿が脳裏に残っている。後で詳しく調べてみると、この鳥の性質から荒波は好環境であり、当時の状況が理解できる。

 標本との出会い

 旧制の中学校はそれぞれが、各地域の最高の学府で鹿児島県でも内容の充実はもとより、人事の面でも、文部省直属の拝命で、高等官待遇で、全国交流の時代で優秀な人材が各地に派遣され、博物学の教室には、すばらしい標本が整備されていた。

 その一部が、戦時中、防空壕に入れられ、雨風にうたれ、その残存が大島高校の標本である。
 県内の中学や高校にも残っていたと思われるが、学制改革など、取り扱う人たちの価値観が薄れ、改廃され、焼却されたりしたのが現状で、奄美大島の標本は貴重なものである。
 この標本を手にしたのは尖閣列島調査の2年後である。
 木造校舎の解体の時に詳しく観察し、古き標本を少しでも保存しようと努力した。これら標本の中にアホウドリの剥製があり、件の白い巨鳥と瓜二つだったのに驚いた。

 また、そのころ山梨大学の中村司先生が奄美大島〜屋久島の鳥類の調査に見え、北小島の洋上に居た白い巨鳥、尖閣列島に「アホウドリ」が生息していることについて申し上げた。
 これが別項の「採集と飼育」(1957年3月号 内田老鶴圃刊)に記されたが、私の話を誤って聞いていらっしゃったのか、「クロアシアホウドリ」と学名をつけて追記されておられる。予想外で一般的な考えで書かれたものと思われる。

 出版後、私も誤りに気づいていたが、通信の手立てもなく、そのままにしていた次第です。

 アホウドリを食した?!

 鳥島や尖閣列島で繁殖していたアホウドリが絶滅したのは1949年と報じられている。
 自然災害や人為的な乱獲によるものであるが、これが1951年、鳥島で生息が確認され、今回、1955年頃には地元の漁師が北小島で2羽のアホウドリ(?)を捕獲し、食したとの報道を聞き、驚きと共に大変興味をもった。
 他面、当時の琉球の現状から考えると、やむを得ない出来事かと思われる。
 沖縄は米国の軍政下で、食糧はもちろん、生活物資の不足の最中で、日本復帰した奄美大島でも同様で、学校では、子どもたちの栄養補給のため、UNICEF(国連児童基金)による脱脂粉乳が給食に供給されていた頃である。

 私のアホウドリ実見については、報告する機会が得られず、今日まで手付かずになっていた。
 奄美大島の日本復帰後、沖縄との交流は乏しく、特に鹿児島は九州の南端で文化の流れは遅く、沖縄との学術交流は福岡を中心に行われていたためもあり、私も琉球大学の調査についても殆んどその成果を知る手掛かりもなかったのが現況である。

 終わりに

 最後になるが、今年(2月)で調査から53年を経て、当時の多くの団員が一同に会しそれぞれの追憶をたどり、尖閣調査をしのぶ座談会の席で各自の体験を発表し合うことは実に意義深いものだった。
 また、私の発見が記録的なものであり、高良先生におくればせながら直接ご報告できたことはとても光栄に思います。

 アホウドリなどの外洋鳥については、我々には、余り接する機会がないが、地球規模の生命体で、しかもその繁殖地は限定され、クロアシアホウドリとアホウドリは小笠原諸島の鳥島と尖閣列島に限られ、コアホウドリは中部太平洋のハワイ諸島の北西のレイサン島に限られている。ここにはクロアシアホウドリも繁殖してる。
 これらの繁殖地は鳥たちにとってかけがえのない地域で、アホウドリは国際保護鳥でもあるので、国連を通じて、これらの保護にあたるベき性質のものと思われる。
 周知のように鳥島においては長谷川博氏らの尽力で1500羽を超えて繁殖の途にある。一度、絶滅の危機にあった種が鳥島や尖閣列島で復活の傾向にあることはとても喜ばしいことである。
 東京都や沖縄県、日本政府は無論のことだが、出来得れば国際的な力を借りて保護にあたってほしいものである。

 その保護のためには、先づは詳細な調査を行い、鳥類の生態的な情報を公開し、保護に対する綿密な計画をたて、実施にあたるとともに大いなる保護思想の啓発が必要である。

             (元県立鹿児島中央高校教諭 福岡県在住)


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