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尖閣人物素描

大見謝 恒寿 氏



大見謝恒寿 1928年(昭和3年)8月〜1986年(昭和61年)12月。
大阪生まれ、大見謝家の長男、母方の祖父は伝説の空手家本部朝基

 1946年(昭和21)、太平洋戦争敗戦の翌年、大見謝氏は18歳で沖縄へ引揚げてきた。一家の柱として、米軍雇用として旋盤工やメスホールに働く中、軍作業仲間から沖縄のリン鉱石、石炭、銅等、鉱山が隆盛していた頃の話を聞き、鉱物資源に興味を抱く。自身も金銀銅などの鉱山を発見したいと思い、昭和23年(1948年)20歳頃から独自に資源探索を始める。

 当初は本島北部や慶良間島の銅鉱山跡、久米島の金山等々を主に探索していたが、ほどなく沖縄既存の鉱山経営の悉くが頓挫し、氏の地下資源に対する関心は徐々にエネルギー資源へと転じつつあった。

 ある日、米軍基地内で地下取水ボーリングした際に天然ガスが噴出した話を聞いた氏は天然ガスの噴出地域を調べ、後に本島中南部に広大に拡がる泥岩や砂岩が石油母岩ではないかとの考えに至った。その地域を隈なく探索すれば、地下に埋蔵されている天然ガスや石油が地表には漏れたり滲み出しているのが見つかる筈だと、各地を飛び回り、ガス噴出や油兆箇所の発見に努めた。こうして氏の資源探索は泥岩や砂岩の地質調査に転じていった。
 独学の調査であり、地質図も持っていないため、自分の足で広大な地域を1つ1つ見て回ればならず、それだけに莫大な時間と労力を要しガス噴出や油兆箇所を探索するのは困難だったと思われる。

※1955年、琉球政府が地質・鉱床の手引書「琉球列島の地形・地質及び鉱床」を発刊。(同書は琉球列島の地史や地質について詳述し、簡略な地質図を添付している。大見謝氏が石油母岩とみなした第三紀層は、沖縄本島中南部、宮古、石垣、西表、与那国を経て台湾北部、また東シナ海の尖閣諸島にも分布し、西表、台湾北部、尖閣諸島(魚釣島)には石炭層があるとしている。)

 この書籍入手を契機に氏の石油・天然ガス資源探索―地質調査に対する考え方は大きく転換した。琉球列島の地形・地質及び鉱床」を読む以前の想定は沖縄本島中南部だったが、宮古八重山諸島の先島諸島、さらに尖閣諸島、東シナ海へと対象の領域が拡大、陸域油田から海底油田へと移っていった。

 1956年(昭和31年)、結婚、のち2男1女を得る。
 この頃から八重山諸島に着目、八重山通いが始まる。石垣島、西表島に第三紀海成層を捜し求めた。当時の八重山諸島は開拓途上にあり、熱帯性マラリアの巣窟、有害動物が潜む危険な地域だったが、単身八重山から与那国、そして宮古等の先島諸島の第三紀海成層を精力的に踏査した。

 踏査を重ねるごとに、琉球列島から東シナ海の尖閣列島にかけて広大な海成層が海底に堆積・分布していることを確信。特に竹富島沖合の海底からガスが噴出している事に注目した。大見謝氏はこれらが海底油田を形成し、沖縄本島海底油田、宮古沖油田、八重山沖油田、尖閣沖油田となっていると考え、会う人毎に沖縄は石油に浮かぶ島であると誇らしげに語っていた。

 1963年(昭和38年頃)、八重山諸島の度重なる踏査を終え、大見謝氏は八重山沖油田の開発に着手することにした。竹富島への石油・天然ガス開発の鉱業権を申請。竹富島沖合のガス噴出の事実からして、同島は油田の背斜構造の丁度真ん中(頂点)に位置し、島の真ん中をボーリングすれば必ずや石油が噴出するに違いない。そう確信した氏は、翌64年7月竹富島で苦心惨憺の末、石油ボーリングを行った。
 琉球政府から借用した古い機械で120m深度しか掘削できなかった。石油の噴出はなかったが好結果を得たとし、石油噴出はなかったが油田兆候もあり、ボーリングコアの岩石の有機炭素含有率も高く、地中に石油の存在を十分に立証できるとした。

 大見謝氏は1000m深度が試掘できる機械で再度ボーリングを実施すれば必ずや石油は噴き出すとして、琉球政府や米軍政府、金融開発公庫、沖縄経済界の要人を訪問し、八重山沖油田開発に対する理解と協力、資金援助を要請したが、彼の話に耳を傾けるものはなく、海千山千山師呼ばわりされ、あげく気違い扱いされる有様。ならば石油があるとの確かな証拠資料を作成せねばと、竹富島沖のガスや岩石などを当時の専門機関(大阪工業奨励館や東京大学、通産省地質調査所等々)に持ち込み科学的な証明(定量・定性分析)を依頼するなどした。
 この頃は開発への協力依頼、資金援助、油田の存在を示す資料作りに奔走の毎日だった。

 1966年頃、日本国会答弁で、東シナ海に海底油田があるらしい、竹富島沖の海底ガスもそれと関係があるのでは取り沙汰され、国際的石油会社(石油メジャー)も関心を寄せているとの噂が流れ始める。
 地元沖縄側(大見謝氏)としても対応を急がざる得なくなった。(続く)

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