(世界日報 08/1/26) 尖閣諸島文献資料編纂会主宰 國吉真古氏に聞く
戦後から本土復帰前 県民独自で調査・編集
山羊の食害の影響を懸念 アホウドリ再繁殖に期待
沖縄本島から南西約四百`の東シナ海に位置する尖閣諸島。一九五〇年から六八年にかけて計五回行われた学術調査の資料を集めた「尖閣研究 高良学術調査団資料(上下巻)」(尖閣諸島文献資料編纂〈へんさん〉会・編集、データム・レキオス発行)がこのほど、発刊された。高良鉄夫琉球大学名誉教授(94、元琉球大学学長、農学博士)を中心に行われた動植物の生態などの調査で、多くの資料が収録されている。発刊の経緯や本の内容などを、同編纂会主宰の國吉真古氏に聞いた。
――「尖閣研究」を編集、発刊するようになった経緯は。
沖縄の本土復帰前後の七〇年代に油田問題が起きて、尖閣諸島に興味を持った。四年前のある日、沖縄協会主催の授賞式に参加したところ、高良博士に偶然会うことができ、本気で資料収集をしようと考えた。
当時、東京の雑誌社から、明治時代に尖閣諸島を開拓した古賀辰四郎さんの写真と開拓村に日の丸がはためいている写真がないかとの問い合わせがあった時、高良調査団の話をしたが、相手は全く知らなくて、大変悔しい思いをした。沖縄だって、戦後一生懸命に調査をしてきたという思いがわいて、高良調査団を世に知らしめようと決意した。
――「尖閣研究」の調査はどのように行われたか。
収録した調査は大きく分けて五つある。高良博士が初めて上陸した五〇年三月−四月の第一回単独調査は、島の生物相調査だ。二回目は、五二年の琉球大学と当時の琉球政府農林省資源局との合同総合調査で、学生三人が参加した。
五三年には、琉球大学学生十一人を率いた現地調査実習を兼ねた調査。その時の調査で、絶滅したとみられていた天然記念物アホウドリの生息を確認したことが、本の編纂時の座談会で明らかになった。
六三年、琉球政府がアホウドリ調査を委託して行われたのが第四次調査だ。六八年には第五次調査として、鉱物資源調査と海鳥調査が実施された。調査内容は、島の生態観察、水質、地質、付近の海域の潮流など総合調査で、新種の植物や陸産貝などを発見している。調査に参加したのは、延べ四十三人で、大学教授、学生、琉球政府と気象庁の職員のほか、警察官、マスコミ関係者などいろいろな職業の人がいた。
また、第四・第五次調査では、台湾人ら外国人の不法上陸による海鳥乱獲の模様が報告されている。当時、高良博士は保護措置を提言したが、その後、石垣市や琉球政府、米国民政府が、領土保全のため「不法入域取締」「行政標柱建立」「不法上陸警告板設置」に踏み切った。こうした資料も詳細に掲載されている。
――本の特徴は。
五回とも高良名誉教授がかかわっている。資料集には、個々の調査時に発表された調査結果や新聞記事などを年代順にほぼすべて記載しているほか、調査団員の対談や生存している調査団員二十五人の思い出の手記も集録してある。
現在、尖閣諸島には上陸できない状況だが、魚釣島には山羊(やぎ)の食害への懸念がある。また、南北両小島でのアホウドリの再繁殖という期待もある。このため特集として「尖閣の自然」で、山羊食害を扱い、現在崩壊の危機にある魚釣島の悲惨な実態を詳細に記しているほか、アホウドリ王国復活の兆しを見せる南北両小島の状況も集録している。調査団のその後の思いとか考察などを詳しく書いてあるのも特徴の一つだろう。
ほかには、調査当時の写真。調査団の皆さんが秘蔵しているものを多数提供してもらっており、尖閣諸島の研究には貴重なものだと思う。
――「尖閣研究」の学術的、文献的な意義は。
尖閣に関する一つの資料集として個々の資料を統合していることに意義がある。これまで、尖閣に関する資料を集めようとすると、個々に当たらなくてはならなかった。
もう一つは、尖閣諸島の領有権をめぐって、日本政府は台湾や中国と対立している。日本の外務省は、こうした本を作れない。外務省は、学術調査はやらない。沖縄県民が独自で、これまでの調査をまとめることができたことも重要な内容だと思う。「これなら、世界に通用するものだ」と高良博士は評価してくれた。
できれば、「尖閣研究」を英語や中国語に翻訳してみたい。そのことで、尖閣諸島が日本の領土であったこと、実効支配していることを伝えられる。五十年以上前の調査がまとめて出版された。「東シナ海の島嶼(とうしょ)研究の歴史に残る資料集」との評価もある。今だからこそ、「尖閣研究」は、意義がある。
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