1898年7月23日付琉球新報広告 故奥田恕建碑寄附金募集広告 画像

○故奥田恕建碑寄附金募集広告

明治十四年当島蒙昧時代より与那国の絶嶼に渡り或は石垣南小学校に訓導として瘴癘蛮雨の間にあり自ら島民教育を以て任し、明治三十年に至る迄殆と十六年間其間十年一日の如く淳々として倦まず遂に今日の八重山教育の基を開きたる故奥田訓導が行年四十九歳を以て職に斃れたる由は既に御報申したる処に御座候。然るに同氏生前の功績は今に至るも尚灼々として滅すべからざるものあると存候。就ては今回当地に碑を立て以て一は個人の遺績を存じ一は聊彰功の実を表し度存念に御座候。何卒辱知諸君は勿論有志諸君に於ても応分の御寄附相成度切望の至に御座候拝具
追て寄附金は県庁内高田文太郎又は八重山島高等小学校内一色隆三宛にて御送附相願候

発起人

一色隆三
新垣安一
大浜用要
大浜政吉
石垣孫喜
松村仁之助