1899年4月27日付 琉球新報記事 画像

○沖縄縁故者懇親会

社会の進歩に連れ人事百般の作用復た昔日の如くならず殊に沖縄の如きは官民一致力を開発に尽さざるべからざるは固より論を待たざる事にて協同一致以て公利共益を図るの必要を感じたる所より在大阪の沖縄に縁故ある人々は本月七日午后六時より西長堀岸松館に於て盛大なる懇親会を開きたり発起人総代下国氏開会の主意を述べ発起人野里渡久山の諸氏及本社の秋月等斡旋の労を執り十数名の紅裾酒間周施し余興には福引を為し互に相酬酌し頗る歓を尽し次回の委?を定め午后十一時頃散会せりと尚ほ将来は台湾協会の如き団体を組織し本県在住の人々とも協心戮力し又野崎(盛幸)氏の如きは在朝在野の有力家に説き大に便利を与ふる筈なりと云ふ同日出席の人々は浪速銀行の前田、中尾第百四十七銀行の田尻、立元大和田銀行の真田、商船会社の石原、武内、増田及大坪、中馬、藤井、黒松、藤田、野上、平尾、谷崎、木下、斉藤、古賀、若松、中島、上杉尾島、稲西、平松、山中商店の林、森、中島、松井、有馬組古田、深尾、安慶名、當間、野崎(直亮)、大湾、糸満、知念、金城、仲村渠、玻名城、真栄城、仲宗根、仲本野里(朝淳)、児玉、林、熊田、阪田、浅田の諸氏なりし由なり。