1899年8月13日 琉球新報記事 画像

○通俗学術演説会

兼ねてよりの広告の通り本日正午より真教寺に於いて旧留学生茶話会を催し通俗学術演説会を開き公衆の傍聴を許す筈にて弁士は会員よりは謝花昇、豊見城梓、上運天憲直の三氏、にして客員よりは椿本県書記官、若林本県警部長、後藤監獄教講師の三氏なり。初め幹事に於いて渡久地政勗氏を弁士に推薦せしも都合に依り上運天憲直氏と繰り替え又た地質調査の為め本県へ出張の東京帝国大学教授理学博士横山又次郎、大学院学生理学士吉原重康の二氏も客員として出席演説の約諾ありしも横山博士は公務の都合に依り至急帰任せざるべからざる事となりて過日出港の釜山丸より出発し吉原理学士は地質調査の為め一昨十一日与那国島へ出張して当日演説の約を果し能わざるは已むを得ざるの次第にして茶話会員及聴衆の為め遺憾の次第なりと雖ども其代り吉原理学士は与那国其他の各離島巡回して帰覇の上は本県全体の地質に関し演説ある筈なれば強ち失望すべきにもあらず。因みに記す当日の客員たる椿書記官は「実業上に就きて」と云う題にて又た若林警部長は「赤痢病に就きて」と云う題にて演説ある筈なるが実業と云い赤痢と云い共に本県目下に適切なる問題なり。