1899年9月25日 琉球新報記事 画像

○海外貿易調査に関する協議会

今回那覇港が他の二十一港と共に新に開港場に指定せられ爾後海外諸国と貿易の自由を与えられたるに就いては既に官民相一致して祝賀会を催せるあり。吾輩亦た本紙上に於いて屡々説述して大方の注意を促したる如く開港の栄誉と利益を維持するに就いては大に講究を要する事なるが此事に就き県庁に於いては本県実業家の重なる人々を招き協議会を開きたる由は過日の紙上に報道したる所にして県庁よりは奈良原知事始め椿書記官岡田参事官等臨席し協議をなしたるが協議に還るの前に奈良原知事は起て一同に挨拶して曰く本日諸君の御来臨を煩わしたるは今般那覇港が開港場となりたるに付其の維持方法に関し御協議申上度存じ御来会を願いましたる処此炎天にも拘らず出這されましたるは実に感謝の至りで御座います。抑も那覇港貿易の事は小官に於いても(※明治)二十五年赴任の時より深く希望して居りましたる処今般幸に開港場となりたるは誠に満足の至りで御座います。尤も開港場の儀も命令前で御座りますれば二ケ年に五万円の輸出入品有無の問題等は深く考究せねばならん事柄と存じまするが最早や開港場と成りたる今日は如何にもして当港を永遠に維持するの方法を研究するの他は無いと存じます。夫故今日諸君の御来臨を煩わしたる次第を伺います筈で御座りますが其用意も御座りませず併し明治二十五年直輸港の件に付奉呈致したる上申書が御座りますから之を朗読致し且つ右へ添付致したる取調書を御参考迄に御覧に入れますゆえ何卒各位の御意見も充分に御示しあらん事を希望致します。云々と述べ椿書記官は「当地海外貿易の発達は本県人と寄留人とを問わず又た直接に貿易業に従事すると否とを論ぜず均しく其利益を蒙るべき事を疑わず随て本県を利し国家を利せるは論を須たず故に県庁は斯業の隆盛に至らん事を希うて止まざるなり又た知事には祝賀会に於いて演説せられたる如く事固より未定に属すれども遠からず清国福州に出張の挙あらんとするやに察せらる。抑も福州は土壌接近し交通往来久しからずとせず自今海外貿易を開始せんと欲せば先づ手を此の地に下すべきは勢の最も利便とするところなるべし。恰も好し此際知事の出張あり此の好機会を空しくせず彼の地の商慣習を始め貿易品種数等諸般の事項の調査を請わば其利益決して少なからざるべし依て主として右の趣旨及び調査事項評定の手続等に付御協議を請わんが為本日諸君の御会同を煩わしたる次第なり。願わくば充分御意見を御陳述あらん事を云々と述べ了りて愈々協議に遷り協議の末遂に毎月々木曜の両日午後七時より十時迄県庁内に協議会を開く事と定め又た調査委員として県庁よりは十名、民間よりは尚順、護得久朝惟、嘉数詠顕、肥後孫左エ門、普久里宗業、大峰桝吉、平尾喜八、比嘉次郎、渡久山朝恭、伊是名朝睦、永江徳志、中馬辰次郎、高嶺朝教、大坪岩次郎、古賀辰四郎、名護紹孔、津嘉山珍章、小嶺幸之、の十八名を選定し調査会長には椿書記官、副会長には岡田参事官に嘱託せられ又た調査事項を議定し並に調査担当をば各委員より選定したるが調査担当人及び調査事項は大略左の如し(以下次号)