1899年12月7日付 琉球新報記事 画像

航清道中日誌(承前) 半狂生

十五日曇天折々小雨

気分の少しく勝れざるを押して朝市中を散歩し昼田村と云ふ人に誘はれ樟脳局薬商館を訪ひ転じて円山公園に至り基隆河を隔て基隆神社の土木工事を見る即ち北白河宮殿下を奉祀するか為の神社にして設計頗る大に河には目下鉄道架設の作事中なり暫く田村氏の管理せる植物栽培所に休ひパン樹の苗を貰うことを得て帰る。

台北

囲むに連山を以てし淡水河其西北に流れ基隆河を受けて遠く淡水港に○注ぐ地形一見西京に彷彿たり。城は府の東に拠り石を畳て高く城壁を築き東西南北及び小南の五門を設く。高さ二三丈厚さ二三間之楼門あり。城内は市区正整街路広濶にして占領以来道路の修繕をなしたる由にて盛に人力車を走らせり。家屋は概ね支那風の建築にして軒下間余数々に煉瓦を以てし雨天傘を用いずして往来することを得猶暑中日光を避くるに便ならん。城外万華(??)と云ひ大稲埋と云ひ共に台湾人支那人の商売戸を連ね頗る繁昌の状あれども所謂支那町の混雑と不潔の体裁は侘立熟視快きものに非ず。偶々露店の飲食店中頻りに土人の喧ごうを耳にしながら行過きつ少しく町を離るれば竹垣の農家にして田あり畑あり稲、甘蔗、芋、野菜の栽培を見る。城内に四五の沖縄物産店あり規模小に過くるの感なきに非ざれども沖縄物産は頗る在留人の嗜好宜しきが如し。