1899年12月13日付 琉球新報記事 画像

渡清道中日記(続) 半狂生
十一月二十六日厦門皷浪嶼の客寓に於て

十九日晴

久振りにて見るときは日光も何となく難有き心地す。折々小雨に曇れども先つ今比此辺にての日和なりと云ふ。商船会社支店に至り阿部氏を訪ふ聞く所に依れば対岸南清との交通機関は商船会社に於て毎月四回即ち目下淡水丸舞鶴丸の二艘を以て當港と厦門香港間の定期航海をなし毎日曜日に當港を発するの予定なり。ドグラス会社は三艘(共に八九百噸内外の汽船)を以て毎週二回即月八回の定期航海をなす然れども冬より春へかけ風波常に荒くして正確に定期を求むこと能はず。或は厦門を発し福州の海檀島に(淡水港より凡八十哩)に避難して四五日も入港せざることありと云ふ。其他夏より秋へかけてはジユンクと称する支那型帆船の往来も亦た尠からずと云ふ。但し目下の処當港と基隆港間の連絡殆ど絶無にして従て商船会社の内地航路を対岸航路に利用することは能はざるは貿易上頗る遺憾の至なり。

晩より知事に同行して中村税関長の招待に赴く。官舎は高台の眺望佳なる所に新築し西洋風の建築中々に壮麗なり。晩餐終て更に薩摩琵琶の余饗あり共に旅情を慰して帰る。當港税関輸出入貨物の原価は凡二千余万円横浜神戸の次長崎の上に居ると云ふ亦た盛なりと云ふべし然れども三井物産会社の請負○片の輸入及び其他最小数を除く他は全く台湾人支那人の所扱に係り此頃より品に依り内地直輸入を開始したるものあれどもこれ亦た内地人の手に成るもの殆ど稀なるが如し。

二十日小雨

市中を散歩し手紙などを認めて日を消ず。


海外交易調査会(続)

護得久朝惟氏:只今永江君より述べられし通り調査会を組織し部を設け部に於て調査委員を選定するは面倒なる次第なれば可成県庁より指名選挙せらるる様致したし。而して此多数の者を以て之が調査委員に充つるより寧ろ総てにて十人位を選定せられ其人々を以て充分に調査せられ度思考す。

椿書記官:永江君の意見と同一なるや

護得久朝惟:永江君の説と同一なり

椿書記官:只今永江君より動議を提出されしが県庁にても可成実業家諸君の意見を聴かんと欲するものなれば遠慮なく御陳述を請ふしだいなるも別段御意見もなき様見受けらるるに付永江君の意見通り十名位の委員を県庁に於て選出することに致すに異議なきや如何。

異議なし

椿書記官:就ては県庁に於て調査委員を選出することに致して只今の調査会と云ふものを設くる議案は取消し本日御集会を請せし協議は則ち永江君の御説に決したれば県庁に於ては尚十分協議を尽して選定する積りなり。而して其選定に依り選定せられたる方は辞退することなく之を請くることに致し国家の為め沖縄の為め十分御尽力あらんことを希望す。而して且つ此際誰にでも本県の実業者の中知事と同行せられ清国に於ける商業上の実況を視察せられんことを希望す。

小嶺幸之氏:本日御集会の諸君を以て委員会を組織し其会員中より取調委員を選挙致したし。

椿書記官:本案は既に議決したるものなるも其辺よりは聴取なかりしものと見ゆるに付動議と認め再び諸君の御協議を請ふ。

護得久朝惟氏:只今小嶺君の説の如くんは査調上の責任は選挙したる主任委員に負はしむるにあらずして全く総委員中に負はしむる有様となり選挙されたる主任委員は唯機械的に働き総委員中に向て粗漏なる報告を為すも其責総委員中の頭上に遷るの嫌もあれば前にも述べし通り其人員は十名位となし其選挙の如きも県庁より指名せらるる様に致し度し。斯くすれば其責任調査主任の手に移り自然精密なる調査を得るのみならず調査の進行上に就ても好結果を得べしと思考す。

椿書記官:他の諸君に於ても御意見あらば御陳述ありたし。

椿書記官:御承知通り只今両説に別れましたが原案即永江君の説に賛成諸の君は起立ありたし。起立大多数なるを以て之に可決致す。

奈良原知事:此時米穀輸入の件に関する調書を朗読せられたり。

参事官:茲に見へらるる比嘉次郎君は近頃清国福州より帰県せられたるを以て同君が同国に於て実見したる商業上の談話を為さるれば御聴取あらんことを乞ふ。