1899年12月15日付 琉球新報記事 画像□
渡清道中日記(続) 半狂生
雑感
當港には税関あり台湾銀行の出張所あり商船会社の支店ありドグラス会社の支店あり其他二三外国人の住家ありて開港場の体裁をなす。海岸一帯の重要地は英国人の所有に属せり。是を台湾占領の際其権利を我が政府に向て主張したるものの由にして其証とする所は単に英国領事館に保存せる図面なりと云ふ或は不時の利を得たるものなるべし又支那人にして英国籍を有するもの数多あり。英国領事館は特に保護民の態を以て彼等を遇し特別の支那人戸籍簿に登記するものにして支那人は英国領事の勢力を便れるなり或は云ふ台湾の施政は一体に外国人に気益するの風ありて日本人よりも寧ろ事が通り易きの観ありと真偽は保し難けれども然る事実も亦た無きにしもあらざるべし。
二十一日雨
行李を収めて十二時頃舞鶴丸に乗り午后一時抜錨す。風強く波荒れて船の動揺甚しくしばしば室の戸を洗ふ音あり。然れども終日終夜安臥して幸に船暈を感ぜず。
二十二日晴
朝大陸を見てより波やや穏やかにして暉々たる日光心地よく午前十時比厦門湾に入る湾内無数の島嶼碁布して砲台又は鋒(ホウ)火台の設けあるを見る。進むこと十哩許にして市街の相対するを認む北は厦門島にして南は皷浪嶼(コロンス)と称し両島の間恰も海峡○○の状をなすの処即ち厦門港なり。船は直に港内に向はず皷浪嶼の西南方を迂回して泊す。云ふ潮の干満によりて出入を異にすと淡水を去る西行凡そ百八十哩なり。
支那の海 西北あるる 此比の
波路をこえて われは来にけり
海外交易調査会(続)
比嘉次郎:私は近頃福州より帰りたるものなれども突然此席に於て精密に御話致すこと出来ざれば大体に就き少々御話することに致さん。本県より同国に向て輸出する所の商品は先つ海産物を以て第一とするも是も昔日とは異なり近頃に至ては其輸出高も大に減退することとなりたり。漆器の如きは彼の地のものに比し本県産は高価なる故買手も少なければ全く販売の見込なく其他種油茶材木傘の如き商品あれども是亦格別の利益もあらざる有様にて貿易の望みなき様思考す云々。去る十三日県庁へ集会せられし諸君に基き調査委員は左の如く指名し十八日午后一時より県庁へ集会せられんことを通知せり。
尚順君 永江徳志君 嘉数詠顕君 肥後孫左衛門君 護得久朝惟君 中馬辰次郎君 高嶺朝教君 伊是名朝睦君 普久里宗業君 大坪岩次郎君 古賀辰四郎君 大峰柳吉君 名護紹孔君 比嘉次郎君 渡久山朝恭君 小嶺幸之君 平尾喜八君 鮫島常太郎君
藤井君は上阪せらるるに付其後任として平尾喜八君に委員を嘱託することせり。之れに依りて調査会は設立せり。
十八日第一回協議会を開き会場会日及調査の方法等を左の如く決議せり。
一 会場 会場は県庁とせり
一 会日 月木の両曜とせり
一 開会閉会の時間 午後七時より十時迄とせり
一 研究案 研究案は各自より提出せらるれば県庁に於て之を一括して印刷とし各委員に分つこととせり
一 調査事項は左の如く決定せり
調査事項
輸入の部
一 穀類の部
一 米 二 大豆
二 茶の部
三 織物の部 附輸出も共に
一 桐板 二 蚊帳 三 織物類
四 雑貨
一 香類 二 傘 三 朱 四 蛇皮 五 紅麹 六 虫糸 七 紙類 八 薬種
輸出の部
一 水産の部
一 鱶鰭 二 鯣 三 海参 四 塩辛 五 其他
二 漆器の部
三 酒の部
一 焼酎 二 其他
四 椎茸の部 附木の耳
各貨物に対する調査事項
輸入の部
一 貨物の種類 二 産物並産額 三 集散地 附取引の状況厘金税及海関税等其他の事項 四 運搬の方法 附荷造の方法 五 輸入額及其時期 六 輸入后の需要の状況 七 直輸入の方法及其利益の程度