1899年12月25日付 琉球新報記事 画像

渡清道中日記(続き) 半狂

當港は関税毎年百余万円に上り清国に於て二三等に下らざるの貿易地なれども輸出入貨物の重なるものは茶綿花布、阿片、米、及海産物にして此等は総て輸入物若くは再輸出物に係り當地出産の物産として見るべきものは僅かに煉瓦石があるのみにして當港は即ち出産地に非ずして全く仲次場と云ふの姿なり然れども是れ外国貿易の大なるものに就て述べたるに止り海産物を始め○日麻類、菓物類、其他の雑貨に於て将来輸出入を奨励するの余地あるべし。

○○○銀行及ひ貨幣

金融機関は銀行及ひ銭庄の二種あり銀行は匯豊銀行即ち上海香港バンクの支店を始として外国銀行の代理店七八ケ所あり目下台湾銀行の支店設置の計画中なれど○未だ開業せず。銭庄は所謂○○○に類するものにして皆支那人の営業に係○業務銀行と同じく貸付及び為替の売買を為す。利率は銀行○しで六分乃至八分銭庄にして一割二分内外あり取引の状況は日本よりも割合に信用の取引発達せるが如しと云ふ。

貨幣は香港、メキシコ、日本、広東の銀貨ありて一般に流通し外に福州其他の地方に於て鋳造せる銀貨あれども多少の割引あり。日本紙幣は市中に通用するが如し銀貨との打歩は勿論相場の如何によることなれども凡そ三銭内外なり然れども普通の買物をなす場合の如きは銀貨との差異を見ず故に旅行者は台湾に於て紙幣を日本銀貨に交換するか若くは台湾に於て銀行為換を組むを便利なりとす。今回余は在台の建祥銀行(林維源の銀行なりと聞く)に厦門受取の為替を託し百円につき六円の打歩を附し呉れたり。而して其の手数料は百円に付四十銭の割合なり。以て多少の利益あるを知るべし。

(未完)