1899年12月25日付 琉球新報記事 画像

海外交易調査会(続)

調査書を知事に呈するの書

我那覇港が本年七月勅令第三百四十二号を以て開港場に指定せられたるは新たに本県に富源を与へたるものにして誠に賀すべきの至りなりと雖ども之れと同時に満二年毎の輸出入貨物の価格五万円に達せざるときは之を閉鎖すとの条件を附せられたれば其裏面は即ち若し県民が能く此問に処し海外貿易を開発するにあらざるは再ひ其富源を奪却すべしと云ふにありて此条件は恰も県民奮発心の試験に異ならざれば苟も本県実業家たるもの此際一番手に睡じて大に奮起し此富源を永久に維持するの策を講じ以て勅令の旨趣を空ふせざらんことを期せざるべからず。顧ふに海外貿易の事たるや巨大の資金と熟練なる経験とを要するを以て素より至難の業に属すと雖ども幸に我沖縄は嘗て旧流球藩時代に於て福州と交通貿易を為したる関係あり。然るに廃藩置県以来は不開港場たりし為め船舶来往の便を欠き終に其交通を塞ぐに至りたるも現に福州は清国の開港場にして本県との距離此遠きにあらず航するに汽船を以てするときは僅かに数日にして往復するを得べき対岸の土地然かも互に需要供給すべき貨物尠からざること往時の例に照して明瞭なれば先つ此地に向て更に交通貿易の途を開始するは前勅令の条件を充すに於て目下の急務にして将来亦大に発達の望あるものと云ふべし。閣下は夙は茲に見る所あり其交通貿易を開始せんとするには先つ彼我商品の品種取引の状況を知悉するを以て方に刻下の急務なりとせられ近々福州地方へ航せられ親しく彼我の貿易に関し実地調査を遂げられんとす。此挙や蓋し県民の挙て賛同を表する所にして我々実業家たるもの拱手黙過すべき時に非ざれば此際宜しく出来得る丈彼我の状況を調査し其調査上不明の点に付精細の調査を請ひ向後益本県の新富源を開発せられれんことを希望するの折柄偶々県庁に於て実業家数十名を召集せられ右に付協議せられるる所ありたれば之を好機として各種の実業家中に就き委員の氏名を請ひ爰に福州貿易調査会なるものを組織し則ち委員は時日を定め前後十一回県庁に集会し孜々其調査に従事し遂に別記の如き結果を得たり。然れども此会や素より適當の調査材料あるに非らず且つ限りあるの期間を以て従事したるものなれば勿論粗笨の調査なるを免がれず且つ不明の○少なからざるも閣下幸に此意を諒し這回福州実地御視察に際し聊か御参考の資に供ぜられ特に其精細の調査を賜はり県下実業者に対し今後貿易上に実益を与へらるるあらば洵に我々調査会の本旨を達したるもの云ふべし。謹で会長以下連署して之を呈す。頓首拜白。

福州貿易調査会

会長 椿蓁一郎 副会長 岡田文次 委員 男爵尚順 永江徳志 嘉数詠顕 肥後孫左衛門 護得久朝惟 中馬辰次郎 高嶺朝教 伊是名朝睦 津嘉山珍章 普久里宗業 大坪岩次郎 名護紹孔 古賀辰四郎 大峰柳吉 平尾喜八 比嘉次郎 渡久山朝恭 小嶺幸之 鮫島常太郎

沖縄県知事男爵奈良原繁殿