1900年1月7日付 琉球新報記事 画像

渡清道中日誌(続) 半狂生

五日小雨

朝領事館に至り館の雇某なる土地の人を介して盧氏に面会す氏は材木及ひ茶商を本業とし十余万円の身代あり。将来取引を○すに信用を置くべき商人なりとして殊更に領事より紹介せられたるものなり。各商人の組合並に委託販売の方法等につき有益なる談話を聞くことを得共に氏の店を見て帰る。晩知事より有志者を領事館に招待せられたるに赴く。来会者は土地民間の有力者陳宝?、劉学○、王考縄の三氏及ひ重立たる在留の日本人十名許りなり。陳氏は曽て礼部侍郎より曾国筌の参謀総長等を勤めたるの人にして清仏事件の際意見合わず職を去りて野に隠ず。目下鰲峰書院とて生徒六七百名を養成する学校の校長たり。劉氏も同じく官位を有する人にして目下○友学校の監督を嘱託し王氏は東文学堂の幹事にして年猶三十に満たず未だ其位置を得るに至らざれども将来福建省一流の人物たるの素ありと云ひ三氏共に在野の名望家にして兼て日本的改進の思想を有せりと聞く。主客能く談じ能く飲み歓を尽して散会せしは十時頃なり。

六日晴

昼より領事館に至り更に領事の紹介に依り楊氏に面会す氏は山東烟台等に取引先を有し材木の輸出大豆の輸入等を本業とし其他略々盧氏と同地の人なり。海産物等の事につき聞く所あり。更に写真師木村氏を訪ふて帰る。

七日晴

朝楊氏来り古賀氏の海産物を見る。昼大越なる人支那の服装をなし内地旅行の次當地に来り知事を訪問したるに逢ふ。晩古賀氏と共に楊氏の招きに応じて赴く。他に来客あり座敷の装飾平日に異なるを聞けば偶々子供の祝ありと云ふに多少の祝儀を贈り饗応を受く。酒終て妓の音曲あり耳を澄し思を遺して十一時過帰る。