1900年1月9日付 琉球新報記事 画像

海外交易調査会(続)

五 輸入額及輸入時期

輸入額は年々増加し現今一ケ年凡そ五万斤其価額は大凡そ一万五六千円なり輸入時期は年中絶ゆることなく最も多き期節は盆祭正月前即ち旧五六月より七八月及十二月頃なり。

六 輸入后の需要の状況

茶は元来那覇首里に於て最も多く消費し其他の地方に於ても其需要逐年増加するの傾向なれば現今は五六年前に比し其輸入額已に一倍以上に達せり故に今后茶は益々其輸入を増進すること必然なるべし。

七 直輸入の方法及其利益の程度

直輸入の方法に就ては未だ充分の調査を遂げざれば詳ならず依て此際支那に於て取引するの手続とするか金融は如何なる方法とするや支那人と直接の取引をする方利益あるか又は外国人と取引する方可なるか又其仕払は六ケ月とするか一ケ年とするを可とするか等は調査する最も必要なる事項なるべし。

直輸入の利益は本県より福州航路を開始し年五六回も航海するに至れば福州より本県迄の諸掛のみなるを以て大坂を経て本県に輸入する諸掛に比すれば其利益あるとは必然なり。

二 織物

一 織物の種類

織物は古来広東繻子紋純子綸子紗緩五ツ瓜紋縮緬白縮緬羅紗呉服ヒツチジヨン、サイヤンフ、キヤシフ、ケンチユ、阿南緕桐板チエー、及綛なりしが現今多く輸入せらるるものは阿南緕、大田緕(蚊帳地)トンヒヤンチエー及綛なり。

二 産地産額

織物の産地は調査せしものなきを以て詳かならざれども阿南緕は阿南より桐板綛は厦門より三十里計り距りたる村落より出ず其他絹織物は広東地方又は蘇州地方なりと云ふ。

三 集散地

支那に於て右掲げたる織物の集散地として重なるは上海なり已前本県へ絹織物を輸入せしは福州及ひ厦門なれも此両地方は織物の集散地にあらず呉服店あるを以て之より買入たるものなるべし。

取引の状況は茶に同じく大坂に居住する支那人に依りて輸入せられたるものを買入るるなり又大坂に平松商店なるものあり。此商店は神戸大坂の支那人と取引をなすを以て此商店より買入るることあり。

桐板綛は重に大坂にて茶を取扱ふ二名の福州人より買入る。此桐板綛は他府県にて用ひず全く本県の需要物なり。

海関税其他明ならず。

四 運搬の方法 附荷造の方法

其長さ巾一定せず同品と雖ども異なることありサイヤン布は一匹分を巻物とし一匹にも又其長さに差異あることあり。ケンチヨの如き長さ五丈巾一尺のものあり純子は凡そ女丸帯四つ分を一巻とす如此区々なるを以て荷造は茶の如く一定する事能はざるのみならず織物なれば組造なるものに入るることを得ず支那鞄に入れ輸入するものあり又荷物の間に入るることあり。

五 輸入額及時期

輸入額は大凡そ阿南緕二千四五百反其価額一反分七八十銭即ち千八九百円桐板綛は二千反分にして一反分凡そ二円内外即ち四千円内外なり。

阿南緕は旧二月より五月迄を最多の輸入期節とす桐板綛亦夏時用ゆる衣服の原料なれば阿南緕と同時期を多しとす。

トンピヤンツエーも亦千反位の輸入あり之れ多く形付となす。蚊帳も亦年々二三百張の輸入あり。其産地は福州にして其価額は一張十円内外なり。

(未完)