1900年1月15日付 琉球新報記事 画像

渡清道中日誌(続) 半狂生

十日晴

出発期迫まりたるに依り終日用務を便じ準備をなす。

十一日晴

朝領事館?報館等に暇乞をし行李を収めて午后二時過河船に乗る江を下ること十数朝干潮の為め進む能はず潮を待て馬尾に着するは十一時比ならんと云ふに驚き小形の舟を雇ふことに議を決し更に人を走らす。待つこと二時間許漸く番船二艘を曳き来る一行を半折して乗り替へ日正に没する比棹を挙ぐ月光に枕し舟女の歌を聞きつつ下ること数時間にして本船海鎮号に達す。荷物を移すなど混雑して彼是十二時前片付く晩食の用意なく携へたる菓子○飢を癒す。余輩福州を辞するに望み西島領事を始め在留の日本人諸君が一行に対するの厚遇を感謝するもの也。

十二日晴

出帆明日に延期したるに依り午后より馬尾に上陸す。清仏事件の際戦死者の為めに義塚を設け表忠祠を建てたるあり外に見るべき所なく造船所は隔たりたる地にありて行くこと能はず。暫時日本人某の石炭商として在留在る家に休息して帰船す。

十三日晴

午前九時出艦す。外に上等客四五人あり此日海上極めて穏かにして少しの動揺を感ぜず時に食卓に向ひ時に甲板を散歩し月光清く征衣を照して快哉言ふべからず。

なぎの渡をれたるも嬉し故郷は

今宵の月をいかに見るらん