1900年1月23日付 琉球新報記事 画像

海外交易調査会(続)

焼酎

焼酎も漆器と等しく調査事項の一に加へたれども福州へ渡航の上調査するにあらざれば必ず輸出あるや否やは詳かならず比嘉氏の談に依れば本県焼酎は彼地に於ては大に嗜好せられ同氏帰県の時焼酎を望みたるものありと之れを以て見れば今後或は輸出せらるるに至らん然れども近来九州地方へ夥しく支那焼酎を輸入し販売するものあり之れ支那焼酎は其味本県焼酎に比すれば数等下れども酒税の増加自家用○の課税及本県焼酎の出港税増加の結果貧民は可成価の廉なる酒類即ち支那焼酎等を使用するに由たるものなり其産額は詳かならず。

本県焼酎醸造家は首里のみにして百二三十軒あり。而して年々の醸造高は凡そ三四万石なれども輸出あるものとすれば今后醸造家を増加せざれば輸出に不足せざるやの疑ひあれども現在の軒数にして尚倍の産額を得るは難事にあらざるべし。左に二十九年しも下半期より三十二年上半期に至る輸出額を挙ぐ。

二十九年下半期 四八六四石四〇五

三十年度 五四六〇石三二六

三十一年 八八六八石三二二

三十二年度上半期 二三四二石〇一六

小計 二一五三五石〇六九

代価 三二三〇二六円〇三五

一ケ年平均 七一七八円三九六

椎茸

椎茸は本邦支那貿易品中重要なる物品なり。本県に於ても亦僅少の産額あり大島に於て年々多額の輸出あり。宮崎県は著明なる産地にして山林ある地方は椎茸を栽培せざるなし故に本県に於て此等の産地より一旦輸入し而して支那地方へ輸出するの目的を以て特に此一項を加へたり。左に記載する処のものは大峰氏に就て調査せしものなり。

一種類

ドンコ、ウスバ、串指、日干等あり。バンコとは椎茸の充分熟せざるもの即ち俗に云ふ傘の開かざるものにて支那向なり。其価額も高く宮崎県に於て五十四五円大坂に於て六十円又時には六十七八円することあり。之れ最も上等なるものなり。

薄葉とは重に内地向にして其価額ドンコと大差なし此ドンコと薄葉との価額の差は其需要地に依りて高く内地い於ては薄葉はドンコより高し。又日干と称するは品質下等にして早く黴を生ず。

椎茸を乾燥するに炭火を以てするものあり又は日干とするものあり。炭火を以て乾燥する方法は横巾二間長さは適宜なる室を作り其中に棚を作り之れに生椎茸を載せ下より炭火を以て熱す炭火を以て乾燥したるものと日干との品質を比較するに炭火を以て乾燥したるものは黴を生ずること少なく且つ黴を取るに容易なれども日干は黴を生ずること早く且つ取るに容易ならず。

産地産額

宮崎県兒湯諸県の両郡は尤も著明なる産地にして其他山林ある地方にして椎茸を栽培せざる処なし。
産額は不詳。

取引の状況

直接外国へ輸出するものなく大坂長崎に問屋なるものあり之れと取引す。問屋は産地より椎茸を受取たるときは内国向と外国輸出品とに区別し又輸出品の取引は問屋と外国商人との間に仲買人なるものありて之れが媒介をなす。其状況並に其後外国との取引は明ならかす。

今日宮崎県より椎茸は右の如く総て大坂長崎とのみ取引する習慣なれども那覇港より直接交通するに當り大坂長崎と取引するより本県を経て南清へ輸出する方利益あれば自然宮崎県の椎茸は総て本県を経て輸出するに至るべしと大峰氏は語れり。

運搬の方法及荷造

大坂長崎へ輸出するは鹿兒島より汽船にして其運賃大凡そ神戸迄七十銭なり。
荷造は宮崎県より大坂長崎へ輸出するものは旧慣○依り高さ二尺一寸内側一尺六寸長さ三尺の箱にして薄葉なれば大凡そ四十斤ドンコなれば八十斤を入る箱は鉋を用ひざるを可とす。鉋を用ひたるものは早く黴を生ずと云ふ。

輸出時期

椎茸は春秋二季発生するものにして春季生のものは秋季生より其産額多く又品質も可なり故に宮崎より輸出の期節は春秋二季にして支那にては平常之れを需要するを以て輸出する一定の時期なし。

鹿兒島県大島郡より三十一度年大坂へ輸出高を左に掲ぐ。

名瀬港 二三八五〇斤 一四九五三円

古仁屋港 二〇〇〇斤 五二四円