1900年1月25日付 琉球新報記事 画像

渡清道中日誌香港(続) 半狂生

住民

人口二十六余万の内二十四万人は支那人にして一万余の英国人あり。其他欧米各強国を始め印度人あり南洋諸島人あり。往来に於て異客奇装に遭遇する其の有様は人類の博物館に赴きたるかの思あり。日本人は領事館に届出たる分に於て凡そ百数十人あり。所謂密航婦と云ひコロツキと云ふの類も実際尠からざるを見る。

商業

五六千頓の汽船は日々幾艘となく往来し正金銀行に十数倍の香港上海バンクを始め各種の銀行は敏活に其金融機関を運転し縦横に鉄路を敷詰たる倉庫は一軒十数棟に貨物を充満せしめたるが如く万端の商業機関は設備至らざるなく只だ目を驚かす許りなり。市中の商家は概ね支那人の営業に係り市場の実権殆ど彼等の手にありて商戦に於ては西洋人も三舎を避くるの有様なりと云ふ。日本商人としては正金銀行三井物産会社日本部商会等なり外に二三軒の雑貨商なきに非ざれども総て不振の状態にして云ふに足らず。

道路

平地は海岸一帯の地あるのみにして市街は総て山を負ふ。故に縦横に道路を開鑿して固むるに多くはセメントを以てし或は煉瓦を敷き或は石を畳めり。清潔にして塵を挙げず広濶にして歩をさまたげずそれ惟に繁華の市街のみに非ず。一軒の設あれれ必ず通ずるに如此の道路を以てしたること海面を去る千七百呎の山顛に及ふ只其広狭の差あるのみ。往来は馬車人力車あれども其の区域甚だ狭くして多く素より地形の已を得ざるに出づれれも轎を使用せり○れ香港の一大不便と云ふべし。因に記す。山巓鉄道あり市街より山巓に家屋市中至る所煉瓦造りにして三四層を最多とし一層建あり間に五階六階を見る下層は店舗を開き上層は居宅となす然れども一階又は二階毎に多くは住人を異にするの有様にして高楷に至りては其上下に不便なるを以て上等の家屋には昇降機の設備あり。三尺角許りなる一小室を電気力にて上下せしむるの作用にして一名のボーイありて之を番す。人之に乗るや指先を以て一点を押せば自然に昇降して目的の楷に至り止むる○○○の仕掛にして甚だ巧みなるものなり。