1900年2月1日付 琉球新報記事 画像

渡清道中日誌(続) 半狂生

二十九日晴

朝食後三井物産会社の留学生なる人を案内者として市中を巡覧し暮方に至りて帰宿す。

広東府

市は珠江を泝ること七十余哩の地にありて二百五十余万の住民を有し生涯を舟中に送るもの更に五十万ありと称す。所謂人口に於て世界の三等地なるの実を見るべし。城内と云ひ関外と云ひ商家櫛比往来接踵の状態は概ね他の繁華の市に異らざれども比較的家屋の清潔にして粥品分業の行はるるを認む。香港割譲以来は外国貿易の実権を内地に奪はれたりと云ふと雖も猶ほ港内常に千噸以上の汽船十艘内外も碇泊するありて貨物輻輳の尋常ならざるを知るに足る。余等滞在日数余りに短少にして加ふるに日本人の斯業に従事するものなきが為め輸出入貨物の実況を見聞するの由なかりしは甚だ遺憾なりしも其産物は織物、砂糖、細工物、菓物等なりと云ふ。元来當省は古へ南蛮○○の地にして清国に於る進化の歴史は最も後世に属すれども亦た最も古く外国貿易の関係を有するが為め今日に至りては人士の性質他省に比し却て多く開化の質を存じ言語動作活発にして商業に巧妙なるは其特色とする所なり従て一般華奢の風ありて華舫の遊興一夜○千金を擲つもの尠からざるが如き野有様なりと云ふ。

三十日晴

午前七時同文会の諸氏に別を告て沙面より亦仏山号に乗る間もなく出船し行こと半時間許濃霧忽ち流れ来りて○尺を弁ぜす○に船の進行を停止すること一時間余にして再ひ運転を始む。両岸田野開けたるの処茘枝芭蕉を植えたること夥し。七十余哩の間山岸連亘村落点○水平に趣異にして四顧覚へず香港に着す。時に午後五時なり。茲に鈴木栄吉なる人の同船せるあり。東京の船具業にして過般麻樹研究の為めマニラに赴き帰途広東に立寄たるものなりと云ふ。互に談を交えて後来を約す。此日一同昼食を喫せず上陸早々晩餐を命じて共に飢好の味を賞す。

三十一日晴

鈴木氏を東洋汽船会社支店長の舎宅に訪ひ午后古賀氏等と共に今回の旅行を紀念として撮影をなし更に三井の舎宅を尋ね偶々臨時博覧会事務官長林忠正氏の○○○○○港○て此家を訪づれたるに面会○○○の大晦日なり。予定の帰期に後れて他○の○○を○○○を思へば光陰人を待たざるの感○○一層深きを覚ゆ。

かへりをばいそぐ心もあけぬ○

暮行年のすすみ也けり

恭賀新年 明治三十三年一月一日

明後三日日本丸に投じ上海を経て直に帰国の途に就くの予定を決す。即ち今回渡航の目的たる南清○遊は一先つ終りを告て茲に日記を擱筆するものなり。事実混錯行文蕪雑にして漫り筆に新聞紙の一隅を汚したりは偏に読者諸君に謝する所なれども素と是れ前提に陳へたるが如く単に知事の一行を始め余等渡清の動静を報ずるを以て主眼としたるものたるを諒せられんことを希ふ。思ふに知事の一行は巨細の調査事項を齎して帰庁せられたれば読者諸君は已に金玉の声を聞かれたるを知る。若し余が見聞する所の細壌露滴にして該の山海に加ふべくんば幾日更に禿筆を染むることを期せん。旅行礼を缺くこと甚だ多くして茲に聊か新年慶賀の略辞を掲げ併せて台湾厦門福州香港広東に於る諸君の優遇好待を鳴謝す。

(終)