1900年4月21日付 琉球新報記事 画像

○護得久氏の清国談

那覇開港に対する準備として厦門福州視察の途次英領香港及び大坂東京の各地へ遊び此程帰県したる広運社長護得久朝惟氏の為め一昨十九日首里那覇の有志者相会して慰労の宴を開きたり。会員中には尚順男、今帰仁男、知花尚家々扶、金武波之上宮司、嘉数農工銀行頭取、山里農工銀行取締役、伊是名首里区会議員、豊見城首里区会議員等の如き知名の人々有り。其他官吏もあり実業家もあり及ひ那覇有力の金満家又は新聞雑誌記者等も参会して頗る盛会なりしが席上に於て護得久氏は南清貿易視察に就て凡そ一時間余の談話を試み南清貿易の有望なる事を説き且つ会員一同へ希望を陳へたり。僅々一ケ月余の視察談に過ぎずと雖ども百聞一見に如かざるの価値あり。且つ談話中沖縄の現状に照して北方に商権を拡張するよりは南方に貿易を盛にするの利益なるを説き若し一旦那覇港閉鎖の不幸を見るが如き事あらば則ち本県の恥辱たるは勿論南方の商権は終に台湾に奪はれて再ひ之を回復し難きの不利を蒙るべきを以て県民は茲に注意し宜しく開港期限内に必ず南方貿易事業を開きて開港の実を全うし以て県下の福利を図らざるべからず。而して之に就ては第一航海事業に付政府の保護を要する理由を熱心に陳べたるは時務に適切にして世人の注意を喚起し大に傾聴せしむるに足れり。開港期限は来年七月にして最早や僅かに一年余の短日月に迫りたるに県民の之に対する甚だ冷淡なるの傾きあるは嘆すべし乃ち護得久氏の談話の要領を左に摘録して以て大方の参考に資せんとす。
(以下次号)