1900年5月27日付 琉球新報記事 画像

○備前丸漂着の詳報

尖閣列島通信によれば去五月十七日古賀辰四郎氏借入の船汽船永康丸は飲料水汲取の為和平山の南岸に接して繋泊中一隻小形の汽船(七十屯内外)早朝入津せり是即ち備前丸にして船籍は兵庫なり。元来和平山の繋泊地は潮流急に且水深大なるを以て小形汽船は碇を下す能はざるにより該船の来るや否や大網を以て永康丸の艫部に結付しめたり。目○せし人の話によれば海員は機関部に浸入せる海水の排除に忙はしく又左右舷後の半部は海水の浸入を防遏する為畳を釘付し尚帆布を張り付け人をして一見非常の困難に遭遇せしものものなるを覚えしむ。該船員の談る所によれば該船は台湾沿岸航海に使用の目的を以て渡航の途次として去十四日那覇発宮古島上りの乗客五名を収容し出帆後間もなく天候険悪の為一旦阿護浦に避け再ひ出帆せしも天候又は険悪風浪に加ふるに瓦斯を以てし咫尺も弁ずべからず遂に目的地なる宮古島を見る能はざるに至りたり。茲に於て舟を八重山に寄せんとせしも亦目的を達する能はず。海水は益浸入し来り加ふるに船員の生命なる海図を流失し如何ともすべからざるに至りたるを以て風浪に任せ務めて台湾の方面と覚ぼしき方に航走中斗らずも一留の島影を見出し(誤り認めて支那国と思い居たる由乗客より聞けり)危急の際なれぱ梶X舟を寄せ偶然にも永康丸に逢ひたりとて大に喜ぴ居たり。舩員乗客共海水浸入の時は一同死を決し居たる由にて舩長の如きは数日食せず日夜舩橋に立ち続けて働きたる趣職分とは云ひながら殊勝の事と申すべし。同船は小形船のこととて非常用の大喞筒なく海水侵入には余程苦心せし者の如し今少し海水の浸入烈しからんには第一機関の運転に故障を生じ○ふべからざる困難に陥りしならん。端艇の如きも破れて用をなさずかかる困難に際し船員一同必死の力を尽したるの証歴然として明なるは実に喜ばしき次第なり。本県師範学校教諭黒岩恒氏は端艇に乗じて早速該船を見舞はれたり宮古行乗客を永康丸に移乗せしめて八重山に送り届くることにつきては該船の借主なる古賀辰四郎氏大に好意を表し種々の便宜を与へたりと云ふ。かかる際に於ける同氏の恩誼乗客たる者永く銘肝してわすれざるべし。永康丸船長佐藤和一郎氏は特に海図一枚を貸して台湾航行の便を与へられたり。同船は當日午前十一時頃無事台湾に向け出帆したり。