1900年6月21日付 琉球新報記事 画像

○尖閣列島談

○左は去る十七日教育会常集会の席上に於ける○会員黒岩恒氏の談話の筆記にして同氏の校閲補正を得たるものなれば多少の増減あり其心して看るべし。

尖閣列島談は前回の教育会席上に於いて御話申す御約束でありましたが時間の都合にて本日となりました本日も最早午後二時諸君は小生の演説の為に御止り下されまして恐れ入る次第で御座ります御承知下さるる如く小生ハ先月尖閣列島の探検に出掛けました併し日数は少く学問はなし御負けに其筋に向い同列島に就きて問合せ致して有ります事項も未だ回答に接しませぬ故今日は順序正しく学問的に御話し申事は出来兼ます追て調査の纏りました節委細の事は御耳に入れることに致します。抑此尖閣列島と申すは本県下八重山列島の地方に在る無人島で御座まして数年前より那覇区在住なる古賀辰四郎氏の借用地であります同氏は数年前より数十人を派し該島にて事業に着手して居ります。小生は昨年の今頃同氏の雇船に便乗し該島ヘ渡航の手筈でしたが船都合にて止める事に相成ました所が本年又た同氏の計画にて態々汽船を該島に派遣する事に相成り其上同氏は東京帝国大学に出頭し可然学者派出の事を相談に相成り教授箕作博士大に斡旋の労を執れまして遂に理学士宮島幹之助氏該島に出張の事となりました。其後古賀氏学校に来られかくかくの次第につき昨年の話続きもあり島廻りせぬかとのことでした。小生の喜悦は申す迄もなきことです去りながら奉職の身分ですから先前年来の行きがかりを述べて学校長に相談を致しました所が大に此行を賛ぜられまして公に渡航するの運になりました。此点に就きては大に学校長に謝せねばなりませね。これより彌古賀氏の船に便乗し探検するに一決しました古賀氏の好意深く謝する所であります。さて此度探検の為乗込みまする船は永康丸と称する登簿噸数二百二十噸計りの小形汽船でして大阪商舩会社の所有であります古賀氏は此度数千の大金を擲ち二三ケ月間の約束にて借り入れられたのであります。船長は佐藤和一郎と申活溌敢為の質にて無人島探検には実にあつらへ向きの人です小生は此船長の為に又余程の利益を得ました話が少し枝葉ですが私が先刻申上ました登簿噸数と申すことにつき少し申上度いと存じます多分皆様御承知でしやうが一体船の噸数と申事に二通り御座ります一は商船噸数でして一は軍艦噸数です(軍艦噸数は一に排水噸数とも申します)。
(未完)