1900年7月1日付 琉球新報記事 画像

○尖閣列島談(私立教育会席上に於ての黒岩恒氏の演説筆記)

釣魚台は列島中の大島而も島の大さに比して甚高く其最高点は実に海面を抜く一千百八十一呎に達して居ります故に此列島を探らんとせば先此島を見出すのが順序です今回本船の航路は実に此方針を取まして御慶事の當日即五月十日の朝先此島を認めました此島と其東北なる黄尾島との間は僅に十五英里です元来此列島に於ける古賀氏の根據地は黄尾島の方でして釣魚台の方へは時に臨で人夫を派遣すると申樣の事であります。今回の航海は一先根據地なる黄尾島に着船し其上更に島廻りの計画に及ぶ筈に致まして釣魚台をば雲烟蒼茫の間に望見した計で直に東北に向て走り尖閣嶼を左舷に望みつつ漸く黄尾島に接近しました船中より島の景色を望みまするに頂の円りたる笠方にして満面緑樹を以て蔽い無數の蒲蔡(くば)樹其間に直立翠色滴んとする有樣です然るに海岸には平低なる所なく素より砂浜の如きものは見へませぬ黒色なる屋大の岩塊美を乱して海に迫り黒潮の流これにぶつつかり処々白雪を吐き随分豪宕なる風色で御座ります。本船彌島に近づき最早二英里の距離となりました双眼鏡を取て眺めますれば三四の茅屋が見へます又長き竹竿の先端に赤白続き合せの旗が閃くのも分かります。裸体の人夫が忙はしく伝馬船を海岸に引き卸す樣子迄明瞭です大凡一け年目に汽船を寄せたのですから何んても昨年来滞留せる人夫等に取りては千歳一遇の時期大に喜びて騒ぎて居る模様です。小生等は大に気遣ました。昨年来此絶海の孤島に留り居る幾十の人夫中病なる者はなきか死人は如何船は愈岸に近き水の深六七尋の処に投錨しました。見る間に一葉の「サバネ」は胞へ太りたる金仏色の壮夫を乗せて本船に参りました此使者によりて島内には病人死者共に無しとの消息を得一同大に安心しました宮島氏の如きは此点につき十人並以上の喜びを表しました。偖茲に一の面白き御話があります。そは余の義にあらず、一艘の汽船でも遥に此列島を北に離れたる海上に一艘の大なる汽船が居るのです。三千噸もあらんかと思はるる大船にて艫部に大烟突が出て居ります一見して尋常の船にあらざることが分かります何でも此船は台湾海峡を落し来たもので大島の方向さして一直線に走る様子です何分距離の遠き為何国の船なるかは分かり兼ねました船員の談る所によれば「タンク」船(石油運送船)なる趣です。多分神戸に直航なるならんとのことでした。小生共は談りましたかれ外國船は此満艦飾をなせる船が怪しき一孤島に繋り居るを見て何と評するであらうと暫時するとかの外国船は島影に隠れ全く見へなくなりました。小生は宮島氏と共ニ上陸致続きて船長機関士も上陸しましたそこで一向は蒲蔡葺きの小屋に腰打かけて休息して居ますすると先刻当方に航過した汽船が復見え出しました船は後戻りした様子です。さー大変後戻り所か本島を目掛けて進み来る模様です。
(以下次号)