1900年7月7日付 琉球新報記事 画像

○尖閣列島談(私立教育会席上に於ての黒岩恒氏の演説筆記)

外国船次第に本島に近き来り信号を以て小生等か乗り来りし船に向ひ何か問答を始むる様子でしたが暫時にして元の路に引き返して去りました後にて聞けば船に異状はなきかとの問合せてあつたさうです何分汽船の通常居るベき所でなきものですから大に怪んたものと見へます併親切なものであります。偖小生共の上陸しました所は黄尾嶼の西南隅で「クバ」葺きの小屋が八九軒御座ります即古賀辰四郎氏の此列島に於ける根拠地です小生は之を古賀村と呼ぶことに致しました村の位置は海岸の小しく上りたる所傾斜の緩かなる洪積層上にあります。此島元来噴火作用によりてなりしものにて熔岩は至る処に重畳し歩行に苦む所過半です殊に奇なるは此熔岩の間にある黒色の土壌に穿たれたる無数の隧道(トンネル)です此山腹に横に穿たれたる穴は何かと申すに鳥の巣です。これは「カゴ」と称する小鴨大の海鳥の巣です此巣の古きものは隧道の入口が塞がりて居ます故一見した所では分りませぬ山中の失策は時々此落し穴に足を取らるるのです足元から鳥が立つとは他府県に普通なる俚諺ですが其実際は此島にて見るのです今頃は産卵の期節ではありませねど随分穴居して居るのが多いです隧道に足を滑らすや否驚いて飛び出るのです飛び出たものの直に高く飛び去るのではなく家鴨の如くのさのさとはひ回るのですから宮島君は鳥拾ひに行くとて度々洒落(シャレ)ました。此鳥は朝未明に島を離れ遠く海上に遊び黄昏に至り再ひ島山に帰るので夜中は山の中をはい廻る様子ですか樣な訳ですから此鳥を捕ふるには夜中です。夜中一もの「ステッキ」を携て山中に入れば幾百にて本望み次第に得られます併実際に於てはかかる迂遠な猟法は致しませぬ其猟法は山中処々に深四尺幅五尺長七八尺位の陥穽(オトシアナ)を作り其左右に高一尺四五寸計の袖垣を出し夜分山中を俳徊せる鳥を此袖垣にて陥穽の方に導き集めバタリバタリと一々落しこむのです翌朝此陥穽を見舞ますれば五六十羽より三四百羽も一つの穴の中に群り居ります此鳥は脚短かけれども翅甚長く平かなる所にては急速に鳥を鼓するのが六ケ敷いので只歩む斗りでま弥飛ぶの必要ある場合には斜面に沿ふて上より下に走りつつ廻を開き体を支ヘ地面を少く離る否大速力翅にて海上見掛けて翔ります。穴の中に落ち集て居る鳥を掴み出し試に空中に投上ますれば皆々大喜にて海の方に舞ひ行きます。前に申上た通り此島ハ噴火によりて成りたるものにて山中に磊々たは岩石は多孔質にて恰も海綿の如き有様で其結果全島一の渓流あるなく皆深く地下に浸み込み海に入る様子です惜ひかな全島飲料水の湧出する場所は一ケ処もありませぬ。(未完)