1900年8月5日付 琉球新報記事 画像

八重山通信

八重山島は台湾定期航路の開けてより以来年々繁昌に相成り今は野菜の如きも売品として栽培するもの多く木瓜抔も初物は一個十銭位ひの相場にて漸次出盛となるに随ひ二銭位ひにとまる鳥餅の為めに一○五千円の金が落ちたる故土着の人民は懐頗る温かにして為めに遊惰に流れるの恐れあり。斯る次第なれば労力者の賃金も高くなり今日の処にては三十銭より下にては如何なる老朽なるものも雇はれず○鳥餅の収入にて土着人民が浮立つさへあるに糸満人の漁獲が好景気なると炭鉱の人足が金使ひのあらひとか誘因となり四ケにては料理屋が六七軒芝居が二軒も出来し何れも繁昌を極め居る。


※複写本コピーでは判読しづらく入力に際しては石垣市史の新聞集成を参照した。