1900年10月9日付 琉球新報記事 画像

○寄留商人案内(六)

(山にき) 平尾喜三郎氏
の本店は那覇区字東八十四番地より二三年前久米大門通りに移築し重に雑貨販売をなし居れり。支店は大島並に大阪にあり。(※コピーでは判読しづらく那覇市史新聞集成でも入力内容曖昧のため後日要再確認)

(山に三) 浜崎嘉太郎氏
は那覇区字東七番地に商店を開き商業は鹿兒島県指宿の人なるを以て重に煙草商をなし居れり。

▲? 原田直次氏
は那覇区字西に商店を開き居りたるも近頃は宮古島に商店を開き重に雑貨商をなし居れり。又海産物をも買ひ入れることああり。

(○に?) 柳元平兵衛氏
住宅は那覇区字西二十一番地にして同氏の宅に本県砂糖商組合事務所を設置せり。柳元氏は平素各汽船会社の業務に従事し居るも又砂糖組合にも加入し居れり。
(前半判読不能那覇市史も省略しており沖縄県史新聞集成を参照して入力後日要確認)

前号に(四)とせしは(五)の誤。