1900年12月27日付 琉球新報記事 画像

○南清航路補助に関する知事の談話

奈良原本県知事が今回上京の途次神戸海岸通り常盤舎に於て客の訪問に接し語りたる談話なりとて神戸新聞の報ずる所左の如し。

我々は乱暴者で強もての方であるが事は正直にやるのだ。今度の上京は前から政府へ頼んである沖縄と福州との交通を開くに就て航路の補助金を是非とも今年の議会へ提出して貰はん為であるが補助金は一年に五万円づつ則ち五箇年間継続して二十五万円といふ別に大金でもないから県民の希望を容れて運動に出掛る所で之が成就せば沖縄に十五万円の航海会社を起して一千噸許りの船を備へて向ふから輸入する米茶及其他又沖縄より向ふへ出す石炭織物雑貨の類だけ運送しても余程徳が附く。沖縄へ向ふから来る米は二十万石以上で尚一旦大阪へ廻して夫から沖縄へ来るから五万石に○万円といふ手数料や多くの○○がかかる、すると十二万円といふ損が立つ訳である故航海を一年早く開けば忽ち其の丈け徳なので四十万の県民が喜ぶに相違あるまい。沖縄人の習慣として矢張支那の茶を飲むが之も内地の茶を嗜好せしむる様にしたいものだ偖今度は内閣の総代はりになつて星逓相に叱られるか知らんが一年五万円の航海補助を乞ふに就ては一憤発力を罩めて取組まねばなるまい。然し逓信省では之を是認し大蔵省へ書類が廻つて居るらしいけれども未だ予算に這入つて居らぬ様子故追加予算に組み込んで貰らう積りだ。私は幾んど十年沖縄に居るが日本の関が原は兎も角も世界の関が原を見て死ぬる覚悟を国民と共に期せねばなるまい小さな事は何うでもよい故に福州航路も開きて今から懐けて置く必要がある、別に政治家や学者は毎内閣に藩閥呼ばりをするが欧米の政治家は皆七八十迄立派に遣つて居る強ち老年とても捨てたものではあるまい、船中で上京の用向を鉛筆で書いて見たが文にはならぬが左の通りだ。

予が今般の上京は南清航路補助の件に有之昨年福州に参りて実地に就き三四百年来交通いたし来りたる福、球間の航海は廃藩置県の為に廃ぜられ双方失望の事情等詳に視察いたし當春上京の節間に上申いたし置きたれども又大臣方も総替はりのよし故是非今般の議会には提出の運びに願ひたしとの希望にて出京いたす所なり今日間々琉球人の脱走するもの有之も福州に琉球館の隠れ家有之故の事故福州航海開けし上に自ら琉球人の隠れ家もなくなるの訳にて一挙万金の策と思ふなり。予は已に琉球に奉職すること幾んど十年職務上四十余万の人民に対する人頭税の如き苛酷の弊害を改めて各府県同様明治聖仁の民たらしめんことを思ふの外念なけれども如何せん無学文盲にして志の事と伴はざるは致方なき次第なり。

然れども世に有益の事をなし得ざる代はりには又世の妨となる事なき筈なり。又政府は陸海軍○の外大臣方も総代はりになりましたそうな。私は未だ党派の騒ぎが足らぬと思ひます。日本でも天正、慶長の頃は何時軍が止むかと思ふ様でありますが慶長の末元和の始め頃に及び人心が軍に飽て誰か之を止めてくれればよいとおもふ時分に家康の様な人が出合せて治世にも成つた事とおもひます。

亦維新後江藤や前原の様な人が兵器を以て政府を凌ぐとしたものが幾らもあつたが西郷があれ丈の事を遣つて敗北した以来はもう何なん人に謀叛を勧めても決して与みする人は一人もあるまいとおもふ夫で国家の為とおもふ事は皆命を捨て財産のあらんかぎりは充分に遣つて見がよい、さうすると自ら損益の自得が出来るであらうとおも・・・・