1900年12月29日付 琉球新報記事 画像

○尖閣列島探検記事

本県師範学校教諭黒岩恒氏が俗にヨコン、コバシマと称する無人島を探検したる顛末は其談話の筆記と共に既に本紙に掲載したり。同氏は其探検の顛末を記し尖開列島探検記事と題し地学雑誌第十二輯第百四十一巻の別冊として世に公けにしたり。其記事の要領は本紙に記載したる所と大差なし。本篇は寧ろ学術的に記したることなれば普通の読者の為めには解し難き所もあらん巻末に採集の植物を掲げり植物学者の好資料なるベし。余在京の時地理学に有名なる志賀重昂氏に沖縄に関する談話を求む其一節に日本は沖縄諸島ありて始めて熱帯との連絡をなす故に動植物の如き之を研究するときは斯学に資すること尠なからざるベし云々の談あり(其筆記は載せて東京沖縄青年会報にあり)。黒岩氏は就職以来鋭意熱心に全力を我沖縄諸島の博物に注ぎ五十余の島嶼其の足跡の至らざる所なし氏の手に依りて以て沖縄諸島の動植物が世に紹介せられたるもの実に尠なからず氏の熱心十年一日の如し此程尖閣列島探検記事を寄贈せらる。而して世人氏の労を知るもの多からざるものの如し。聊か記して以て平生の労を謝し併せて世人をして氏の労苦を知らしむ。

(大田生稿)(太田朝敷のこと)