※尖閣諸島への外国人不法入域に対する警告板


尖閣諸島では、1960年頃から台湾漁民による領海内での不法操漁や、同諸島に生息する海鳥の卵を採取するために不法上陸する事件が多発するようになっていました。

これには沖縄を統治していた米国民政府も対応せざるを得ず。
米国民政府主席民生官スタンレー・S・カーペンター氏は違反事件への対策として「警告板」の設置を琉球政府に提案しました。

そこで警告板設置の現地出張を命じられ、尖閣諸島に渡島し設置の指揮を執った方が当時琉球政府の出入管理庁に勤めていた比嘉健次氏です。

比嘉氏の書かれた「警告板設置の思い出」は、当時の苦労や警告板工事の模様、並びに設置状況等、設置計画を立て、実際に現場で指揮した方の貴重なレポートです。


警告板設置の思い出本文
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※警告板設置後記念写真
沖縄公文書館所蔵の写真資料より


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