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怪文書?日中友好協会沖縄県本部声明

これは怪文書の類でしょうか、それとも当時の日中友好協会沖縄県本部から出された本物の声明でしょうか。
面白いので、テキストにしてみます。

参考画像 表面 裏面


一九七二年三月二十八日 玉本筆

米日反動派による日本軍国主義復活のための陰謀「尖閣列島」の略奪と「防衛論を暴露する 日中友好協会(正統)沖縄県本部声明

 米日反動派は沖縄「返還」のペテンを画策し、「返還」協定の中で釣魚列島(「尖閣列島」)を「返還区域」の中に組み入れた。また琉球政府をそそのかし釣魚列島(「尖閣列島」)が琉琉(※琉球のことと思われる)に属する標識を立てさせ、「領有」宣言を行わさせた。佐藤反動政府は「尖閣列島」を日本の「防衛識別圏」内にくみいれ、沖縄に「第11管区海上自衛隊」を配置し、武力で「『尖閣列島』を守る」とぬかし、またさかんに「他国とどのような交渉もいらない自明な領土」などと事あるたびにわめいている。

 沖縄「返還」のペテンは米日反動派による日本軍国主義復活と侵略戦争を一層おし進める準備である。「尖閣列島」の略奪と「防衛論」はその具体化であり、日本軍国主義復活に奉仕させるための反動的「世論」を作ろうとするものであり、日中両国人民の間に水をさし日中友好・日中国交回復の運動を破かいしようとするものである。釣魚列島(「尖閣列島」)つまり、釣魚島、黄尾嶼、赤尾嶼、南小島、北小島などの島嶼は台湾の付属島嶼であり、台湾と同様、中華人民共和国の領土である。

 釣魚列島は一八九四〜九五年の日清戦争で遼東半島、台湾、澎湖列島などを清国から奪ったとき、「台湾とそのすべての付属島嶼」として奪い取り日本領としたのである。したがって当然、第二次大戦以降は、日本が中国から奪った領土は、カイロ宣言、ポツダム宣言を見ても中国に返還されており、釣魚列島は台湾と同様、中国領土になっている。

一三七〇年頃から琉球国王は中国皇帝の封を受けてきたが、中国皇帝が派遣した冊封使、例えば陳侃の使録『使琉球記』、一七一九年の徐葆光の使録『中山伝信録』、その他の冊封使録にも釣魚列島が中国領だと記されている。当時琉球最大の学者程順則の『指南広義』もそうなっている。一六〇九年、島津が琉球王国を侵略し植民知的属国とした後も、歴代琉球国王は中国皇帝に臣属しその冊封を受けており、一八七二年〜七九年の間に明治天皇政府はいわゆる「琉球処分」を強行し琉球王国を亡ぼし島津藩の植民地から天皇の植民地として沖縄県としたのであるが、その直後日本と清の間に琉琉(※琉球のことと思われる)領有権の争いが起る。で、そして琉琉(※やはり琉球のことと思われる)列島分割の交渉に入るが、そのときの“日本側二分案”にも“中国側三分案”にも、どちらも釣魚列島は琉球の領土の外として分割案の対象外においている。古賀辰四郎の釣魚島における借地権が認められたのは日清戦争で略奪した翌年の一八九六年九月であり、それ以前の古賀の借地申請は沖縄県庁でも、日本政府でも許可されていない。この島が清国領であったからである。釣魚列島は今から七七年前日清戦争で澎湖列島、台湾を「割譲」したとき「台湾およびそのすべての付属島嶼」として中国から奪ったもので、現在は、台湾と同様中国領土である。琉球に属する日本国領土ではない。
 佐藤反動政府がもちだす「論拠」は、日清戦争以降のものであり、彼らがかつての日本帝国主義の後継者であり、やがて人民の斗いによって見やぶられる強盗・侵略の「論拠」であることを暴露している。
 だいぶ多くの沖縄人民の間にある−「尖閣」は沖縄のも−という認識は、この列島の昔から中国魚民、台湾魚民と同じく琉球魚民が、近海漁、台風時の避難、水の供給、鳥卵、薬草(海ふよう)の採取のため利用してきた事などと、日清戦争後は「台湾が帝国の版図に帰してのち」沖縄県八重山の地番なるとして公然として福岡県出身那覇居住海産物問屋古賀辰四郎が人を使い同島を独占したこともある事情からきており、かつての日本帝国主義が沖縄人民に対してなした歴史と合わせて論議されればすぐに正しい認識にもどることができる。

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