北小島の行政区画標柱に


 

 この写真は、1995年6月20日付沖縄タイムスに掲載されました、
「近景尖閣諸島・学術調査と海鳥撮影」という記事で紹介されている写真の一つです。

 写真の横には
「標柱・無人島のこの島にも『石垣市』の住所表示が。」と説明書きが付いています。

 コンクリート製の立派な標柱であり、日本の実行的支配を裏付ける貴重な建造物ですが、残念ながらこの標柱には少し問題がある様に思われます。
 標柱に刻まれている文字をよく見て下さい。
(※画像をクリックしますともう少し大きい画像が開きます)
 「沖縄縣 石垣市字登野城二三九〇番地
と書かれています。が、実際にはこの番地は南小島が登録されている番地です。

 しかし、記事の本文では、
〜あいにくの天候で魚釣島、南小島への上陸はできなかったがクロアジサシがコロニーをつくる場所として知られる北小島へ上陸した。
との説明が書かれています。

 つまり、北小島に南小島を示す標柱が建てられていると考えざるを得ないわけです。一方、南小島の方には北小島を示す標柱が建っていると考えられます。

※この件は八重山毎日新聞の尖閣諸島ツアーレポート記事「上陸 尖閣諸島 下」(1995.06/22)で既に指摘されていました。
〜北小島の住所は「登野城二三九一番」。標識には「沖縄県石垣市登野城二三九〇番地」とあり、反対側には「八重山尖閣群島南小島」と掘ってある。(略)

北小島に南小島を示す標柱が建立されているのは確かな様です。


※この標柱の件を編纂会会員の方が石垣市役所に問い合わせて呉れました。以下石垣市役所の担当の方に伺った話の要約です。

確かに北小島に建っている標柱は南小島の地番「二三九〇番地」になっており、誤りです。
1995年の八重山毎日新聞によれば「当時の市助役牧野清氏にも分からない」としており、(なんで誤ったのか)当時の記録を良く調べてみないと分からない。
現在、尖閣諸島は上陸規制措置が取られているので石垣市役所としての対応は難しいです。

以上、2008 03/24に電話で伺った担当者の説明です。

確かに現在尖閣諸島に対して上陸禁止措置が取られています。数年前に地元石垣の市議、仲間均氏が上陸を実行しようとしたところ、海上保安庁の隊員に阻止されたというできごとを思い出しました。
政府はどう考えているのでしょうか、誰かこの件について質問した国会議員さんがいるのか、いないなら誰か有志の議員が質問してくれないかなーっと。


※参考 尖閣諸島の地番

南小島 登野城二三九〇
北小島 登野城二三九一
魚釣島 登野城二三九二
久場島 登野城二三九三
大正島 登野城二三九四




参考リンク:尖閣諸島ツアー


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