×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

無人島探訪記

尖閣諸島調査のパイオニア:高良鉄夫氏の少年時代からの夢は無数の海鳥が生息している古賀の無人島探検でした。
当時、鰹節仮加工場が魚釣島にあり、そこへ通う漁船に便乗して上陸しました。
これが戦後初めての尖閣諸島調査になります。


※画像は1950年4月15日付自由時報より

調査の目的は海鳥調査と海幸・山幸の富源調査、加えて「海鳥のヒナの訓練」の妙技を観察し、敗戦後の荒廃した青少年教育に資するという想いがあったそうです。

ところが、いざ魚釣島に上陸してみると野生の猫が繁殖し、かつてのアホウドリの楽園は海鳥が一羽も棲息していませんでした。
対岸の南北小島の天空は無数の海鳥の乱舞で陽がかき曇るほどなのに。

憧れの海鳥の棲む島には渡島できませんでしたが、高良氏は魚釣島に約2週間滞在し生物相の調査に専念しました。
また尖閣諸島周辺の海は多数の漁船が入り乱れて操業しており、沖縄はもとより四国からのカツオ漁船、九州のサバ漁船やカジキ漁の突船、更には台湾からの漁船で賑わっていました。

当時の尖閣諸島の様子を、「卵と鳥で島は一ぱい」=「海鳥の楽園」、「海岸で鰹の釣れる島」=「漁業資源の宝庫」、また「鳥くそ(肥料)を利用することも考えねばならない」と発表。
これが戦後初の調査報告となりました。

調査を終え魚釣島を後にした高良氏は、地元石垣市の新聞社に調査のレポートを寄稿しました。

無人島探訪記本文
>>進む


文献top>>
home>>