尖閣諸島第二次調査

1952年、高良鉄夫氏は尖閣諸島の更なる生物調査と富源調査を企画、前回の単独調査に続く第二次調査として調査メンバーを選び参加を呼びかけました。
呼びかけに応じたメンバーの一人、多和田真淳氏は植物学、考古学が専門の博物学者でした。

調査から帰って後、多和田氏は自身の報告「尖閣列島採集記」で「〜尖閣諸島に昔人間が住んだ證拠を一つでも探そうとしましたが全くありません。つまり此処は昔からの全くの無人島だつたのです。〜」と明らかにしました。

のちに尖閣諸島の領有権問題が起こる1970年代よりも遙か以前に尖閣諸島は歴史的に無人島であった可能性を調査し明らかにしたこと、これは考古学の専門である多和田氏ならではの視点でしょう。

尖閣列島採集記本文
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※1952年3月30日付沖縄タイムスより
尖閣諸島に向け出発した調査団


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