無人島探訪記


十、東南岸踏査

 四月二日午前八時再び北部海岸線を通り東北岸に進路を求めた。海岸線はやはり珊瑚礁が第三紀砂岩に縁着して舞台状になつたところがあり、又岩が汀線にころがり、あるいは諸所に間隙があつたりして歩行は極めて困難である。
 砂浜が少なく砂地植物は西岸同様貧弱である。岩上にシロサギの骸骨と羽毛が散つて居り鳥と鳥との生存競争の後が無人島の一角に残されている。おそらくツナの仕業であろう。 黄尾島、沖の北岩を左に見つゝ前進する。岩と岩との間に僅かな堆土を利用してアダンが元気なさそうに生えて居り何等の大蛇がつり下つているように見える。
 蛇の臭気を求めてガジマルの根、岩影、あるいは樹上を探しても見当たらない。ガスをたいて飛び出したものは小蛇一匹、捕て見ると上陸翌日捕つた小蛇と同一種、略同大のものであつた。

 午后四時半山頂につく。高所から見渡すと北方沖合に黄尾島が見え、眼下には沖の南岩、沖の北岩、北小島、南小島、魚釣島を中心として移動している十数隻の漁船等、尖閣列島のすべてが手に取るように見える。
 沿岸の植物相は資源的価値も認められない。その他東北岸の植物相も大した変化がない。この東北部海岸は明治の末期頃までアホウドリが二、三ケ所に群棲していたということであるが、今日ではアホウドリの棲息は見られない。
 これは種々の妨害のために北小島あるいは南小島に移動したものであろう。

 沖の南岩トビ瀬島を目前に見て東岸を南下、北小島、南小島の岩山が尤立して如何にも物騒に見える。南岸の中部付近まで来ると崖が多く、容易に汀線を渡ることが出来ない。
 無理をして漸く進んで来たが遂に進退極つてしまつた。今更海岸線をもどつて帰るのも無意味な感がしたので思い切つて断崖絶壁を攀じ登ることにした。
 先づ胴乱、双眼鏡、水筒、靴などが邪まになるので一応装具は縄で結んで置き断崖を登り終つてから縄で引き上げることにした。まるでヤモリが壁を匍うようにして崩れた砂岩の突角を足場にして登ること十数分、崖の半分まで来たとき右足下の岩が崩れ落ち全身の重みを左足と右足にかけた瞬間、今度は右手の岩が欠けあつと言う間に断崖下に落ち込むところであつたが幸いトウズルモドキが四五本垂れ下がつていたのでとつさの間にこれをつかみ漸く命を救うことが出来た。
 これこそ命の綱であつたのである。
 仕方なく断崖を下り進路をかえて再び崖を攀じ登る。
 崖上出た時は既に午后一時半、時間の都合上で南岸のがい上迂回を中止し横断して北岸に出た。若し断がいを迂回し島を一周するなら一日を要するであろう。

十一、小島と海鳥

 魚釣島の東南方約四粁隔つたところに二つの小さな島がある。これを北小島、南小島と言い漁師は俗に鳥島といつて居る。北小島、南小島は約三百五十米離れている。
 両島ともに第三紀砂岩に珊瑚礁が所々に緑着して居り、峻嶮な岩山の無人島であつて海鳥の棲息に適している。
 北小島は周囲三粁余、面積約二千五百アール海抜約百三十米、南小島は周囲約二・五粁、面積約三千二百アール、海抜約百五十米、近海は波も荒く流れも速いので天候のよい時でも船をつけることは困難である。
 樹木はないが雑草らしいものが双眼鏡で見える。
 南小島には洞穴があり、四米位の大じやと海鳥調査のため両小島に渡るべく計画を進めたのであるが天候に恵れず遂に両小島を目前に見ながら上陸することが出来なかつた。

 以下両小島に行つた経験のある漁師連と双眼鏡で見た実況とを総合してみよう。
 南小島にいる海鳥はクロアジサシ、セグロアジサシ、アホウドリ、クロアシアホウドリ、リユウキユウカツオドリ、シロイツチヨン、オオミヅナギドリ、クロウミツバメ等でありこれらの海鳥は魚類を食うのでその糞は肥料として貴重なものである。
 両島から飛び立つ海鳥群は空を覆い実に勇壮であり、ステツキを振れば一振りで二三羽たたき落されるという。
 上陸すると最初の程は人を珍らしそうに見つめているそうであるが一度彼鳥を驚かすと人間を見ただけでも飛び去るという。
 アホウドリやその卵等が乱獲されているがこのようなことでは折角の鳥群も四散し跡を絶つに到るであろう。
 繁殖が極めて遅緩なものであるから妄りに捕獲することを禁じ一種の保護法策を講じて群棲を誘致し、無限の肥料資源を得るようにしなくてはならない。

 数十年前には魚釣島にもすう十万羽のアホウドリが棲息していたようであるが現在は跡が絶えており、黄尾島にも島を覆う程棲息しているようであるが永久危険地区に指定されているのでその状況は不明である。

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