2.【尖閣列島のゆきかえりに何日かゝつたか】

 初め私は琉大の高良先生から尖閣列島の調査に行きたいが君も調査団に加わらないかとすゝめられ千才一遇の機会だと胸をワクワクさせましたが、だまつていました。
 その中、林務課長さんから調査団の一員として行くように命令されましたのでとるものもとりあえず一行と合流した次第です。
 ただしかし悲しいことには私の思う万分の一も仕事が出来なかつたことです。

 私の日記には次のように書いてあります。

 三月二十九日 晴天午後四時半若葉丸で那覇港出帆、船中一泊

 三月三十日 晴天午前十時宮古島張水港着、上陸一泊

 三月三十一日 晴天午後五時宮古出帆、船中一泊

 四月一日 晴天午前十一時石垣港着、上陸

 四月二日 晴天八重山資源支局畜産係の依頼を受け資料植物調
        査を宮良牧場でやつた。
        尖閣列島行漁船の便乗を交渉して失敗に帰す

 四月三日 晴天尖閣列島行漁船の便乗を交渉して失敗に帰す

 四月四日 晴天尖閣列島行漁船篠原光次郎氏所有基本丸に便
        乗方交渉、船主は納得したが、船員が納得しないの
        で困つた

 四月五日 曇、雨、曇、石垣島東部海岸の採集をした。基本丸船
        長は納得したが船子が納得しないので困つた

 四月六日 曇天、基本丸に根気強く再び交渉船員も調査団に同情
        を寄せ便乗方を納得

 四月七日 晴天だが沖の波が高く出帆延期

 四月八日 同上

 四月九日 晴天南の風、午後五時尖閣列島へ向け基本丸出帆
        船中一泊

 四月十日 晴天、午前八時南小島上陸島の北半採集

 四月十一日 晴天、南の風、波が荒れ出す、島の南半採集

 四月十二日 雨天西北風、波が荒い、魚釣島への出帆不能

 四月十三日 曇天同上

 四月十四日 曇天(所々青空をのぞむ)西北風 午後日さす四時
          半南小島を離れ五時半 魚釣島西南岸着、荷物運
          搬中日暮れ松火を頼りに続行船着場所から崖を越
          し千米以上離れたカツオ仮乾燥小屋を宿泊所とした

 四月十五日 快晴北風、午前中荷物運搬 午後竹林行

 四月十六日 晴天、島の海岸線一周

 四月十七日 晴天、魚釣岳(和平山)の次山行、山中で日暮れ午
          後九時半頃帰営

 四月十八日 晴天、魚釣岳最高峰(三六二米)行

 四月十九日 曇時々雨、波が少し荒い午前八時魚釣島を離れた、
          船中一泊、風強く時化気味となりずぶぬれになつた

 四月二十日 曇天、午前十時頃石垣港入港

 四月二十一日 採集標本の整理

 四月二十二日 同上

 四月二十三日 八重山資源支局農政係の催しで植物採集会、講
           師は多和田、午後大雨で一同ずぶぬれになつた

 四月二十四日 午前中標本整理 午後八重山園芸同好会発会式
           に出席

 四月二十五日 採集標本の整理

 四月二十六日 午後七時発動機船で糸満へ向け出帆船中一泊

 四月二十七日 終日海上で暮す船中一泊

 四月二十八日 午前十一時半糸満着

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