3.【上陸第一歩】

 四月九日晴天、南の風午後五時八重山営林所職員に見送られたが調査船十一トンのカジキ船基本丸は調査団一行七名、船員十一名都合十八名を乗せて石垣の突堤を離れた。

 あゝ、今ぞあこがれの未だ見ぬなぞの島尖閣へ、死!今までの採集旅で考えた事のない迷想、ものの十五分も経つたであろうか、あつという間に船は四十五度位に傾いて急旋回した。
 危く舷側にしがみついて投げ出されずにすんだ。
 船員が私を見て笑つた、何事だろう、きん張の二三分が過ぎた。
 そこへ高良氏から「船員達が海上安全を観音堂へ祈つたのだ、それつ御神酒だ」と茶わん酒を手渡された。ハハー先刻我々が船に乗る時も靴、地下足袋をぬがされたが、今度は観音様への祈願か、今更の如く縁起をかつぐ漁船には驚かされた。

 船は何事も無かつた如くトントンと進んで行く、私はカメラをはずして観音崎へ向けた。

 夕暗の中に西表島が消えて後はトントンという単調な機関の音と舷側を打つ波の音ばかり、船室の無い漁船の事とてダンブルの上のデツキに船員がにわかに造つてくれた天井、波よけ兼用のキヤンバスカバーの下、我々の一等室となつた。
 「明日は未明に着くでしよう、この調子の南風なら小島は駄目でしよう、どうせ魚釣島ですな」と船長が挨拶に来た。
 「それがかえつて好都合だ」と私は答えた

 四月十日 晴天南の風、寒さで暁の夢は破られ、島が見えるという声にとび起きた。
 なる程朝もやの中にすさまじい格構をした島々が見えている。
 尖閣とはよくも名づけたり、槍の様にてつぺんの尖つた島山だ。
 一群のカツオドリが頭上を過ぎた、直ぐ次のが来た、又次のが来た、戦争中の波状攻撃を思い出した。鳥が飛び去る度うす皮をむく様に明るくなつて行く、終に太陽が顔を出した。
 金波銀波が躍り船は矢の様に早い潮流を切つて進んで行く、魚釣へ魚釣へ、急に船は右手へ進路を変えた、おやと思つている中にぐんぐん南小島へ近づいて投錨した。
 私の胸に割り切れぬものが残つた。

 之が我々の調査をはばんだ第二の障がいとなつた。
 私はまゝよと小船に乗りうつつた。ボートは自然の小さい掘割を巧みに突き進んで南小島に着いた。
 我々が海岸に下り立つと島全体が蜂の巣をつゝいた以上、否かなえの沸くが如き騒ぎとなつた。
 何千何万とも数え知れぬリユウキユウカツオドリが一度に飛び立ちギヤギヤ鳴きながら糞爆の雨を降らし、右の岩かげ左の岩かげ、山の後へと飛び交い、飛び去り飛び来る、その様は筆舌につくせるものではない。

 この地点は島の東北隅にあたる此処は古賀氏が経営した小工場地帯の跡で、海岸からの強い風波を防ぐために大小多数の枡目形の石塀でめぐらした工場や屋敷跡が殆んど完全に残つている。

 設営をすべくリユツクを肩に四五歩、歩いたら鼻のつぶれそうな喉をしめる様な、異臭がプンと来た。

 モンパノキの陰に我々より先に上陸したであろう漁民に打ち殺されたカツオドリの胸肉ともも肉をとり去られた後の皮付の頭や脚や翼がうず高く捨てられた無ざんな姿。
 昼は青蝿にたかられ夜は一尺内外の大むかでにかじられる、何か知ら過ぎ去つた戦争が頭にうかんだ、郷里へ残した妻子の姿がチラツと目をかすめた。
 私は今から十三年前の天長節に西表島の近くにある中の御神島という無人島で海鳥を殺したり生どりにしたりした経験があるので今度はやるまいと固く決心した。

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