7.

 四月十四日曇天西北風だが風も大分弱り時々青空をのぞむ様になつた。この調子なら午後までには波もおさまるだろう。そうしたら船の連中も我々が食糧の欠乏している事は百も承知しているからきつと迎えに来るに違いない。

 午前中思い思いに採集をして午後は準備して待とうじやないかと評議一決、私は島の南端指して出発した。

 南端は此の島にしては広大な沖積層というより波に打ち上げられた砂れくを大波が一様にのして平坦にきたとでも形容した方が適切な平地があつて、その所々に名人が配した庭石に必適する奇石がポツンポツン置かれている。
 この一帯は余り荒らされていないと見え平地までもカツオドリが進出して安心して巣づくりしている。
 人が近づいても一向無関心である、石を投げたら珍しそうに一寸首をかしげるだけである。
 此処で初めてまめ科の植物にぶつかつた。ハマナタマメとハマアズキであつた、やつとアダンも見つかつた。一面青草で敷きつめられているが種類が少なく至つて単調である。

 向の岩影から悲鳴を上げながら一群のカツオドリが飛び立つた。
 よく見ればいつの間に来たのか棚原氏と上運天君が鳥の捕獲に秘術をつくしている所だ。棚原氏は棒を以てほふく前進しているし、上運天君は立膝のまゝゴムのパチンコを思いきり引きしぼつている。五六尺位前にキヨトンとカツオドリがすわつている。
 上運天君の右手が動いた、ギヤツと悲鳴をあげて鳥がひつくり返つた、棚原氏の棒がきらめいた、鳥がびつこを引いて逃げて行く、全く映画そつくりだ。

 私は帰りに昼食の菜にするためハマダイコンの若いのを一抱え採取した( 之は実にうまかつた)。
 帰る途中左手断崖を辛じて下りた動物班と合流して正午帰営、昼食後荷造りにとりかゝつた。

 午後二時になつても迎えの船が来ないので一同がつかりして中には溜息をつくのもいる有様、私はたこつぼの無数にある瀬へ出て、海そう類、カニ類、貝類、魚類を観察していた。

 大きな潮のうねりがどつと来て瀬を洗つた、私はおやつと思つた。目前の池を大きな魚が踊つて穴へかくれた。
 私は以前西表島にいた時分こんな水溜で十六斤半の魚を釣竿の根で突ついてとつた経験があるので、しめたと思つた。
 なぜならこの池は袋になつていて逃げ路がない、私はとんで洞穴へ帰つた。
 棒をひつつかんでまた海へ出た、何事だろうと棚原氏が追うて来たので二人で水中をドタンバタンやつてやつと棒でしとめてしまつた、六斤位のイラブチヤー(ベラ) であつた。
 船を刻むの例にもれず、私はウの目たかの目別の水溜を丹念に棒でつゝいて魚を探した。

 不意に大声で呼ばれ顔を上げたら、いつの間にか待ちに待つた我が調査船基本丸の雄姿が浮んでいた。

 四時半南小島に分れを告げ、うねりの未だ去りやらぬ海上をゆられて魚釣島へ向かつた。船頭からふるまわれた真水で沸かした清明茶と、アブラガツオの刺身は今もつて忘れられない。
 船は四十分で魚釣島の南岸に近づいた。

 最高峰三百六二米の和平山は海岸にせまり肌に粟を生ぜしめる程ひしと私の心を威圧した。これこそ死の断崖だと私は絶叫した。
 船は底知れぬ紺青の海をゆつくり左手西海岸へ宇廻して五時半魚釣島西南岸に錨を投げた。
 魚釣島も海岸から直ぐ深海となつているので珊瑚礁の割目が少なくて船着場は二三カ所しかない、海岸を黒潮が洗つて流れは川の様である。 そよ風が吹くだけでもここに面した海岸は波が逆巻くのが特徴である。

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