8.

 今日は西北風なので我々の宿泊地である西北岸に船を着けるのは困難である。我々は二千米近いしかも断崖から崩落した石の間を縫つたり越えたり、或は断崖をよじねばならない様な悪道を往復せねばならなかつた。

 海岸に下された荷物は屏風の様に突出た小さな半島状の断崖を越さねばならない、その時役立つたのは断崖上から吊した二本のロープだつた。
 私は断崖上で荷物を引上げる役目をしていたが、百米位離れた崖下で、はげしい大きな物音を立てゝ煙と共に物の飛散るのを目撃した。その近くには我々のボートがもやつてあつた。
 私はボートが割れたのだと思つてびつくりした、よく見ればボートはちやんと岩影にあつた。多分何かの原因で岩が崩れ落ちたに違いないと思つた。

 先発隊が荷物をかついで宿泊所へ急いだ。夕やみがせまつて来て我々を包み、あたりは真のやみとなつた。
 やぶ蚊が所きらわず襲撃して我々は一刻もじつとすることが出来ない。生まれて初めて経験する猛烈な蚊群の襲撃、荷物をかつぎ手さぐりで崖を下りたがさつぱり方角が分からない。
 じつとすることは出来ない、動かねばならぬ、蚊に攻め立てられて無茶苦茶に歩き出した。

 先発隊の一人松本君が松火をふりふり合図しながらやつて来た。
救われた気になつた。宿泊所近い海岸で高良氏が流木を赤々と燃やして我々を迎えてくれた。

 何でも御城のような石垣であつた。トンネル見たような石門をくぐつて家の土間に立つた。土間には直接クバの葉が幾重にも敷かれ割竹で押えてあつた。
 これが魚釣島における我々のねぐらであつた。

 翌十五日は快晴、北風、久し振りに家の下に寝て熟睡、気持ちがよい。とび起きると同時に泉へ行く、小川をせいて作つた水タンクは同時に井戸の用を兼ねるように出来ている。
 満々と湛えられた真水、手にすくつた玉の様な清水、喉へ転げ落ちる甘露の味。
 小島の生活に較べなんと環境の異なる事よ。
 見よ我々の周囲には亭々とクバ(ビロウ)が天に沖し、さらさらと風にゆれ、小川のせゝらぎと妙なる楽をかなで、クバの葉影タブの茂みではヒヨやカラスバトがこの世の幸を歌つているではないか、幸先はよし、あくがれのあくがれの此の島山の未知の植物に対する武者震いで私の好奇心は高まつていつた。

 クバの屋根、クバの壁、タブの柱の仮小屋も此処無人島では宮殿の様に輝いて見えた。

 今日の午前中は残して置いた荷物の運搬作業、午後は古賀氏が植栽したという竹林行きと決めた。
 朝飯の前に手の空いてる連中は荷物の運搬にあたつた、二往復で運搬は終つた。
 汗ばんだ体に空腹を覚え、琉大生の炊いた飯ごうの飯、野生のボタンニンジンの芳烈な味噌汁、無人島ならでは味わえぬ美味さであつた。

 竹林は西海岸に面しただらだら坂の奥にあつた。
 道という道はなく、一昨年の記憶を頼りに高良氏が先導になつてやぶを切り開いて進んだ。
 やぶの入口には葉の広大な紫色の美花を開くアザミがあつた。
 私は新種と見て之にセンカクアザミの仮称を与えた。
 海岸からの絶えざる強風で入口の灌木は枝と枝を組み合わせてどつしりミコシを据えているので我々は腹這いになつて通らねばならなかつた。
 中腹のビロウ、タブ、モクタチバナ等はよく生長して熱帯林の特徴をよく現わし昼もなお暗い有様である。
 ビロウは丁度実が熟し、地面は青色の実で敷きつめられている、此処のビロウは今まで見たものとは幾分異つている。
 即ち葉の柄も長ければ、花の枝も長く、実も長い、たしかに普通に我々が見るものとは別種と思われる。
 モクタチバナも今まで見たものとは異つて実が非常に大きい、甘いので私はとつて食べた。

 動物で著しいのはクバの葉柄に七八寸以上の大ムカデの住んでいることゝ、跳躍力のすばらしいカエルが居ることである。植物では琉球列島では新 のツヅラフジの一種があることで、之は花も実も無く、芋を掘つて持ち帰りたかつたが、残念な事には根掘のピツケルを他の連中が借りてしまつたので採集する事が出来なかつた。

 リユウキユウカラスバトは山羊の様な鳴声で木から木へ飛び回つているが、感が早くて中々射てなかつた。
 竹やぶの竹は釣竿用のホテイチクで乱伐をされ辛じてある有様で保護育成の要があると思つた。
 晩は蚊の襲撃がひどいので、明日は島の海岸線一周と決め、早く寝た。

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