9.

 四月十六日、晴天、午前八時宿舎を出発西海岸を北に向かつた。五百米位行つた海沿いの小高い岡に登つて、一同ど肝を抜かれた。

 何万坪という山が、土砂巨岩、大木が吹き上げられ、木は時に横倒しにされ、大部分は枝が土砂に埋められ、巨岩の下敷きとなり、むごたらしく土塊の着いたまゝの根を天にさらけ出している。
 山手に著しい地すべりの後も遠望される。
 もみくちやにするとはこんな状景を形容するのに適切な言葉ではないかと思つた。これは断層、地すべりの地殻変動か、或は噴火の跡かと議論百出した。

 三カ年前は草も無く全くの赤はげ山だつたらしい。
 今はヒゲスゲ、デンツキ、ウスベニニガナ、タカサゴマンネングサ等が所々に生えている。
 此のはげ山はすり鉢形をなし、中央には火山の跡らしい水ためもあつてわずかながら水草も生じていた。結局我々の知識では解決のつくはずはなく疑問のまゝ問題は残された。

 伝え聞く所によれば一九四七年の九月近海を通る船がしきりに立ち昇る噴煙を見たともいはれている。
 小一時間も調査して前進という事になつてから上運天君が未だ来ていないことに気付き、松本君が宿舎へ合図に引き返して行つたが、何を聞きちがへたか上運天君は反対の方向に出発してしまつていた。
 彼はこの一日で千じんの功を一キに欠いてしまつた。

 しばらくして我々は北海岸を巡り東海岸へ出た。
 東海岸は天候異変がひどいらしく三四隻の大型発動機船が岩にたゝきつけられ、打ち上げられ船体が芭しよう葉の如く無茶苦茶にされた痛々しい姿が見える。
 魚釣島で遭難した日本機のエンジンや翼のころがつているのもこの東海岸である。
 飛行機の衝突した岩は真二つに割れて黄色に染まつている。

 東海岸は珊瑚礁も発達してあるいは波打際から畳を敷いたようなのがあるし、あるいは累々とトリデの如く巨岩が積重なつて人の行手をさえぎるようなのもある。
 前者にはミズガンピやシロバナノミヤコグサが生じ、その割目には幾万とも知れぬテツポウユリが群落を作り今を盛りに咲いていた。
 後者にはクサトベラやアダンが所々群落をなしていた。
 我々は垣々たる珊瑚礁を過ぎ、峨々たる珊瑚礁の岩山を曲芸師のように跳び越え南海岸に出た。
 この海岸は旧噴火口の壁とも見られるところで身の毛もよだつくらいの断崖が鋸の歯のように続いている。
 この海岸には閃緑岩が露出して特異な存在を誇つている。
 昼過の日光はいやが上にも照りつけ、飲料水も無いので一同うだつてあえぎあえぎ岩角をつたつて行つた。
 沖縄では普通であるが此処では極稀なノアサガオやウスベニニガナ等を採集している中に一行にはぐれた。

 私は大急ぎでましらの様に岩鼻をつたつて行く中はたと行手を失つてしまつた。そこは小さい断崖をなしていた、私は彼等を大声で呼んだ。返事がなかつた。
 私はまゝよと前方の平たく突出た石へ跳びうつつた、その拍子に石がひつくり返つて諸共に断崖へすべり落ちた。
 あゝ然し幸な事には岩が屏風の折目の様になつて下に行くに従つて狭まり、私は岩と岩との間にうまい具合にはさまつた。そこは岩がぬけて崩れ落ちた跡らしく人一人通れる自然の小路になつていた。
 それが一行の通つた只一つしか無い道であつた。

 私はほつとして野冊を拾ひ上げリユツクサツクをかつぎ直し大きな岩角を急いで巡つて行つた。人声が聞え、小さい流れから水筒に水をつめている一行がいた。
 この流れの段々畑の様な所を水がチロチロと下まで流れ、湿地には西表島のヒルギ林に生える稀にしか見ないウシクグが勢よく生育していた。
 我々はこの段々を下りて海岸に達した。海岸に下りて一同は目もあてられない位失望落たんした。

 閃緑岩の岩壁が海に突出て岩鼻が直角に切れている、人間業ではとても廻れない。
 しばらくあつけにとられた一行は、勇をごして右手の斜面を一歩々々、シロガジマルやリユウキユウアカテツの枝につかまつて登つた。
 あゝ然しやつと登りつめた所は又断崖では無いか、不用意な事に誰もロープを用意してなかつた。

 高良氏を先頭に私が殿を承つて一人々々ゆつくりゆつくりこの死の断崖を登つた。
 私は大声で叱たした。「落ち付いて登れ、誤つて石を転がしたら下の者は命が無いぞ」とくり返した。

 人間はこうなると異状な心理状態になるものである、自分が下になるのをいやがるものである、あわてた新垣君が石を転がしてしまつた。
 最初の一個がするどいうなりを立てゝ私の顔にせまつた。
 私は反射的に出た顔を引こめてぴしやりと頭を岩にくつつけた。私の帽子すれすれに石は谷底へ転げ落ちた。
 次々と二個の石が転がつて来た。知念氏が一個は荷物で、一個は足でふまえた。
 私は怒心頭に燃えた。しかし其処には同君の姿はなかつた。

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